日野市立病院
〒191-0062
東京都日野市多摩平4-3-1
TEL:042-581-2677
FAX:042-587-3408
病院URL:http://hospital.city.hino.tokyo.jp/index.html
名前 三浦 弘志
日野市立病院診療技術部長 放射線科部長 放射線技術科長 超音波検査室長 初期臨床研修委員会委員長
職歴経歴 1957年に三重県多気郡で生まれる。1984年に佐賀医科大学(現 佐賀大学)を卒業後、慶應義塾大学放射線診断部に入局し、慶應義塾大学病院で研修を行う。1987年に足利赤十字病院に初期出張を行う。1989年に慶應義塾大学病院に勤務する。1993年に国家公務員共済組合連合会立川病院に勤務する。1999年に国家公務員共済組合連合会立川病院放射線科部長に就任する。2001年に日野市立病院に着任し、放射線科を立ち上げる。2002年に日野市立病院の新病院が開設され、放射線科部長に就任する。
日本医学放射線学会認定専門医、日本IVR学会認定専門医・評議員、日本脈管学会認定脈管専門医(vascular specialist)・評議員、日本腹部救急医学会暫定教育医・腹部救急認定医・評議員、日本血管内治療学会評議員、東海大学放射線科客員講師、日本脈管学会専門医制度委員会委員、日本腹部救急医学会学術プログラム委員会委員など
日野市立病院の特徴をお聞かせください。
300床の中規模病院で、二次救急を担っています。内科、外科、整形外科、産婦人科、小児科を含めた主要診療科が揃っており、必要最小限の精鋭スタッフを擁しています。新型コロナウイルス第5波のときは多摩地区自体の感染者数は増えなかったのですが、新宿から東の病院では空き病床がないということで、当院で受け入れを行っていました。
三浦先生がいらっしゃる放射線科についてはいかがですか。
現時点では常勤医師は私一人ですが、毎日、慶應義塾大学から医師が来ますので、基本的には2人体制で診療しています。以前と比べるとコンピューターが発達していますので、CTやMRIの件数が右肩上がりで増加する一方ですが、画像診断では責任のある仕事をしなくてはいけないので、ハードワークになっています。また、手術後の患者さんが出血性ショックになった場合などに外科から呼ばれ、血管内治療(IVR)をして患者さんの救命に繋げるといった仕事もあります。血管内治療(IVR)については当院の外科に限らず、ほかの診療科から呼ばれたり、他院から呼ばれることもあります。
日野市立病院の初期研修プログラムで学べる特徴について、ご紹介くださいますか。
厚生労働省が指定する内科6カ月、救急科3カ月、地域医療1カ月や、新しく加わった外科、産婦人科、小児科、精神科を最低1カ月ずつ回るのは必須ですが、そうした必須科目を最低限に絞り込み、残りを選択科目として、多めに自由選択ができる体制にしています。したがって、自由度は非常に高いです。それから少数精鋭であることも特徴です。初期研修医の数が1学年2、3人と少ないこともあり、指導医と初期研修医がマンツーマンでぴったりとくっついて研修できる体制になっています。
ほかに特徴はありますか。
当院は中規模病院であり、三次救急病院ではありませんが、最近の初期研修医の中には救急科や三次救急に興味を持っている人が相当います。そういう初期研修医は当院とタッグを組んでいる立川市の災害医療センターで3カ月間の研修ができます。災害医療センターは日本の広域災害医療の基幹施設であり、災害時には備蓄されている400床を使って診療にあたることになっている病院です。ここ数年、当院では救急の研修を災害医療センターで行いたいという初期研修医が増えています。
自由度の高さも特徴ですね。
2年目は40週ほどが選択期間になります。例えば、必須科目の産婦人科、小児科を当院で回り、それ以外に周産期医療も学びたいという場合には私が以前、勤務していた国家公務員共済組合連合会立川病院で研修することも可能です。当院にずっといるというより、外の空気を少し吸ってくることができるプログラムですね。あまりにも外に行きすぎると、初期研修の主旨に引っかかるので、そこは注意しています(笑)。それでも指導医と相談しながらプログラムを作っていけます。初期研修医が1学年10人を超すような病院ではプログラムを一度組んでしまうと、途中で変更することが難しくなります。ほかの初期研修医とバッティングするからです。しかし、当院は初期研修医数が少ないこともあり、バッティングしません。これまで「本当はこの科を回る予定だったのですが、ほかの科に変えたいです」という希望を100%叶えてきました。その意味での自由度も高いです。
初期研修医の人数はどのくらいですか。
2021年度は2年目2人、1年目3人ですが、2022年度は2年目3人、1年目が4人になる予定です。この4人のうち3人が当院のプログラムでの初期研修医で、1人が慶應義塾大学病院からのたすきがけです。
指導される立場として心がけていらっしゃることを教えてください。
研修医の現状を把握することに加えて、研修医が今どういう状態になっているのかという心理や心情も把握することに努めています。
最近の研修医をご覧になって、どう思われますか。
私たちの時代はある程度バンカラでしたし、懐が深く、どーんと構えているところがありましたが、最近の研修医は要領よくこなす人か、要領がそこまでよくない人に分類できるかなとお見受けしています。昔は一生のうち二度と研修する機会がないであろうマイナー科を含めて、どーんとやってやろうという気概がありましたが、今はそうした人があまり多くない印象です。
「こんな研修医がいた」というエピソードがあれば、お聞かせください。
初期研修を始めるときから「将来は外科に行きます」と決めていた人がいました。そして「早めに専門医を取得したいので、心臓血管外科の研修もさせてくれ」と言われたので、彼のニーズを汲み、きちんと心臓血管外科を研修できるシステムを整えました。彼はその後、当然のように外科に進み、現在は慶應義塾大学病院の関連病院で活躍しています。
また、当時唯一の研修医でしたが、胆力があって指導医の評判が良く才色兼備の女性医師であり、東大の外科で進みましたがとても印象に残っています。
研修医に「これだけは言いたい」ということがあれば、お聞かせください。
大きく構えた言い方になりますが、日本の医療をリードしていくような気概を持った医師になってほしいです。私の考えではいずれ日本の専門医はがん、血管病、生活習慣病、認知症といった方向に分化していくでしょう。それぞれが自分の特徴や有利なところを活かして貢献してほしいと願っています。
先生はなぜ放射線科を選ばれたのですか。
当時は今のように画像が発達していなかったのですが、人間の身体をどうしたら判別して見られるのかということに興味があり、内科か、放射線科で迷っていました。私自身の特性もどちらかにあるのだろうと思ったのですが、「来てもいいよ」と言ってくれたのが慶應義塾大学の放射線診断部だったので、そのまま入局しました。
なぜ慶應義塾大学に入局されたのですか。
早い話が伝手があったからです(笑)。私の母は医師ではないのですが、文部技官として、三重大学の放射線科で研究助手をしていたことがあったのです。それで慶應で研修をした放射線科の先生方を何人か知っていまして、そのご縁で入局することになりました。
研修医時代はいかがでしたか。
当時の放射線診断部の雰囲気は非常に厳しくはありましたが、楽しくもありました。最初は大学病院で研修し、卒後3年目の冬から足利赤十字病院に初期出張に行きました。足利赤十字病院は慶應義塾大学病院の関連病院で、私は初期研修医に少しレベルアップした程度でしたが、症例豊富な病院だったので、実力をつけたうえで大学病院に帰ってくることができました。大学病院の先生方から「足利に行く前と今とでは実力が違うね」と言われましたし、私も経験を積んできた自信がありました。最近ようやく休みが取れたので、久しぶりに足利赤十字病院に行ってきました。懐かしかったですね。
現在の臨床研修制度についてのご意見をお願いします。
初期研修医の自由が一定程度ありますし、概ね良い制度ではないでしょうか。足りないところもあるので「概ね」としておきます(笑)。足りないところは、例えば関東では後期研修において、東京以外の場所に人を派遣していかないといけないということです。新専門医制度も含め、地域医療に重点を置く方向で進んでいるのは間違いないですし、それが大上段に構えられていますが、私としては各病院の独自性や特徴、持っている優位性を活かせる方策を考慮してほしいと思っています。
新専門医制度についてのご意見もお願いします。
今、申し上げたように地域医療も重要ですが、病院の特徴を伸ばすような方策を立てたり、その特徴を活かせるように斟酌していただきたいということです。全てを杓子定規のように枠にはめず、もう少し大所高所からの見地で進めていただくとより良い制度になると考えています。
これから初期臨床研修病院を選ぶ医学生に向けて、メッセージをお願いします。
一言で申し上げますと、「大志を抱け」ということに尽きますね。自分の夢を叶えていただきたいです。