専門研修インタビュー

2022-04-01

沖縄県立南部医療センター・こども医療センター(沖縄県) 専攻医 竹川賢太郎先生(総合診療科) (2022年)

沖縄県立南部医療センター・こども医療センター(沖縄県)の専攻医、竹川賢太郎先生(総合診療科)に、病院の特徴や研修プログラムについてなど、様々なエピソードをお伺いしました。この内容は2022年に収録したものです。

沖縄県立南部医療センター・こども医療センター

〒901-1193
沖縄県島尻郡南風原町字新川118-1
TEL:098-888-0123
FAX:098-888-6400
病院URL:https://nanbuweb.hosp.pref.okinawa.jp/

大野先生の近影

名前 竹川 賢太郎 専攻医
出身地・出身大学 / 医師免許取得年度 京都府舞鶴市・ 秋田大学 / 2015年
初期研修施設 沖縄県立南部医療センター・こども医療センター
専攻医研修 総合診療科(2017年から2021年まで) 専攻医研修 小児科(2021年から)

医師を目指したきっかけをお聞かせください。

私は小学6年生から中学1年生まで、父の仕事の関係でモンゴルに住み、インターナショナルスクールに通っていました。そのときの色々な人々との関わりや発展途上国で暮らした感覚などから、国際貢献できる職業に就きたいという気持ちが最初にあったんです。インターナショナルスクールは色々な国の人々の多様な価値観に触れられる環境で、健康や衛生、教育や財政といった問題を考えるチャンスをもらえたので、国連やWHOなどで働くことを考えたこともあります。しかし、高校2年生のときに、国際貢献の場で一番認めてもらいやすく、すぐに動ける職業となると医師だなという結論に至り、遅めの時期ではありましたが、医師を目指すようになりました。

学生生活はいかがでしたか。

サッカー部と国際医療交流会に入っていましたが、サッカー部での活動がかなりのウエイトを占めており、1日に4部練、5部練という日もありました(笑)。楽しい時期でしたね。印象に残っていることとしてはモンゴルでの医療支援活動です。モンゴル全国を回って、心疾患が疑われる子どものエコーをひたすらスクリーニングするというNPO法人があるのですが、そこで1週間ほどモンゴルに滞在して、先生方に同行し、お手伝いをさせていただいたり、教えていただいたりしました。

初期研修の病院を沖縄県立南部医療センター・こども医療センターに決めたのはなぜですか。

私の父は転勤族で、私が大学を出るときもまだ転勤を続けており、帰るべき場所も奨学金によるしがらみもありませんでしたので、思い切って色々な病院を候補に挙げてみようと思っていました。私は中学、高校時代を新潟で過ごしたご縁で、大学時代は秋田大学の新潟県出身者を集めて進路説明会や食事会をするという新潟県の事業に参加していたんです。そこで、その場にいらしていた先生から、新潟の病院ではなく、なぜか「沖縄の病院を見に行ったら」と勧めていただいたのがきっかけです(笑)。もともと沖縄県立中部病院のような有名どころの病院にも興味があったので、中部病院と当院に見学に行くことにしました。当院はこども医療センターという名前が付いていたので、小児科を頑張っている病院なのだなと見学してみると、指導医からの指示がなくても、研修医一人一人が自立したうえで、したいことができ、学びたいことを学べる環境であること、スタッフの人当たりが柔らかいことが気に入って、当院を選びました。

小児科をいつから志望されていたのですか。

年齢の離れた兄弟がいますので、子どもに関する医療に携わりたいという気持ちは大学生のときからあったのですが、大学での実習を通して、小児科志望になりました。

初期研修が始まってからはイメージ通りでしたか。

そうですね。小児科がかなり力を入れて診療をしているということだけでなく、救急の症例も多かったです。当院は「こども」と名付けられていますが、一般的な内科や外科の総合病院に「こども」がついている形なので、症例の偏りも少なかったです。

初期研修を振り返って、いかがですか。

とても良かったです。理由は先輩と同期に恵まれたからです。同期は11人で、一つ上の先輩方の14人と比べると少なかったのですが、専攻医の先生方も多かったので、充実した屋根瓦式の教育を受けられたのは個人的にはとても有り難かったです。

先生はまずは総合診療科の専門研修プログラムを専攻されたのですよね。

小児科を勉強したくて、当院に来たのですが、先に家庭医療専門医を取るプログラムを終え、2021年から小児科にいます。総合診療科を先に研修した理由は沖縄県の成り立ちや特有の文化から説明せざるを得ません。沖縄はアメリカに占領されていた時代があり、アメリカが率先して、沖縄の優秀な人たちを本土の大学の医学部に送り、卒業後は沖縄で働く医師へと育てていました。その先生方は基本的には離島に一度は勤務しなくてはいけないという文化があり、その名残で今も卒後5年目か6年目の医師が離島に行っています。離島に行く医師を育てるプログラムが当院だと総合診療科後期研修プログラム、中部病院だと島医者養成プログラムというものです。沖縄県には60以上の有人離島があり、その中の18の離島は船でしか行けないのですが、県立の診療所があります。それらのプログラムでは一人で診療所を運営し、人口数百人から千数百人の島を一人で診ていきます。こういう研修はほかの地域ではできないでしょうし、私が小児科医になったときに離島で働く機会はおそらくないだろうとも思い、チャンスがあるのだったら行ってみたい、そこに行くためには家庭医療専門医を取るプログラムに乗らないといけないということで、当院の総合診療科後期研修プログラムを選びました。それから、このプログラムの指導医である総合内科の仲里信彦先生がとても信頼できる方で、数年ではありますが、この先生についていきたいという気持ちが大きかったという理由もありました。

離島に行くまで、かなり勉強されましたか。

覚悟はあったので、「これだけは絶対に」ということを集中的に勉強しました。先輩方から「赴任する医師のレベルによって、島の医療レベルが変わってしまう」と伺っていたので、その言葉を肝に銘じて赴任しました。

離島医療はいかがでしたか。

2019年から2021年の春まで、日本の有人離島の中で最南端である波照間島の波照間診療所に赴任しました。幸せな環境でしたね。離島でない地域がいかに恵まれているのかということも痛感しました。波照間島は今でこそオンライン通話もできますが、数年前までインターネットが光回線でなかったのです。私は恵まれた時期に行けたのだなと思いました。医療に関しては、波照間島に嫁いで以来、30年近く看護師をしていらっしゃる方がサポートしてくださるので、色々なことがスムーズに進み、困ったことはほとんどありませんでした。

竹川先生の写真

現在は小児科で、どのような専門研修をなさっているのですか。

小児科の専門研修プログラムが始まって1年を終えたところです。当院の小児科には専門科が多くあるので、1年目は専門科を数カ月ずつローテートしていく形です。小児循環器内科、小児血液・腫瘍内科、小児内分泌・代謝内科、小児腎臓科、小児神経内科・こころ科に加え、NICUや小児総合診療科を回っています。

専攻医研修で特に勉強になっていることを教えてください。

全てですね(笑)。これまでは大人に重きを置き、大人プラスアルファで子どもを診てきたのが、子ども一点張りで診ていくとなると、医療の基本的なところや病態生理をより大切にしようという場面が多くなります。身体の小さい子どもを診ますので、薬の量の調整は大人よりもシビアですし、考えていかなくてはいけないというのが勉強になるというよりも大人との違いを実感しています。

専攻医研修で遣り甲斐を感じるのはどのようなときですか。

一番は予後が長い患者さんが多いので、その患者さんたちをいかに元気に育てていくかということですね。大人と違い、教育とは言えないものの、育児や本人の発達、発育をとても大切に考える診療科なので、発達や発育、本人の将来の健康に関与できたときに遣り甲斐を感じます。

専攻医研修で辛いことはどのようなことですか。

やはり予後が短い患者さんもいらっしゃることです。ご家族も恐らく主治医からの病状説明で理解されていると思いますが、予後が悪い疾患に罹患された方と触れ合うときは難しさをいつも感じています。大人のお看取りとはまた違う辛さですね。

指導医の先生方のご指導はいかがですか。

私は当院で初期研修をしていたこともあり、指導医の先生方はフランクに接してくださっています。指導を受けやすい環境が整っていますね。指導医の先生方は皆さん、専門分野を培ってこられた方々なので、ふと疑問に思ったことを投げかけると、その2倍、3倍、4倍と何倍にもなって答えが返ってきます。色々なことを教えていただけるのが当院の有り難いところです。

カンファレンスはいかがですか。

レジデントに限定すると、毎日のように何かしらのカンファレンスが行われています。小児科全体としては、木曜日に初期研修医が持ってきた症例を20分から30分でスライド仕立てでプレゼンし、勉強したことを発表して、フィードバックをもらうカンファレンスがあり、金曜日は指導医からのレクチャーが必ず催されます。

初期研修医の指導はどのようにしていらっしゃいますか。

初期研修医が所属できる子ども病院は全国的にも珍しい存在です。そういう小児科の強い病院に研修に来てもらっている以上、仮に専攻医研修で他病院に行くにせよ、当院で得た知識を活かしてほしいという思いが強いので、基本的には子どもの診方のいろはから教えますが、初期研修医の近くで動けるように心がけています。指導というよりは一緒に仕事するという感覚で接しています。

コメディカルのスタッフとのコミュニケーションはいかがですか。

小児科の場合はリハビリのスタッフさん、看護師さんなどと関わりが深いのですが、中でも大事な存在がソーシャルワーカーさんです。地域の事情についての情報はデリケートなものですが、小児科では大切な情報です。怪我一つとってみても、虐待などの考えるべき内容が多いので、膨大な情報で得られた問題を地域、自治体、児童相談所などと相談しながら解決していきます。時代の流れもありますが、そうした情報を回収してくださるのがソーシャルワーカーさんなので、ソーシャルワーカーさんなしでは仕事ができません。

コロナ禍で、虐待が増えたと言われています。

コロナ禍になってから虐待が増えたかどうかは分かりませんが、沖縄県は全国的にも経済的に弱い地域ですので、そういった事例は以前から多いのかもしれません。コロナ禍で、子どもも保育所に行けず、家庭で過ごす時間が増えました。親御さんも保育所に通わせているときと比べるとやはりストレスが増えるようで、多少の放置があったり、故意ではないのかもしれませんが、ポットを転がして火傷したといった事例はこの1年を振り返ると、以前よりも多くなったと思いました。

今後のご予定をお聞かせください。

当院に来た当初は小児科のみを目指していましたので、家庭医療という分野を取ることを想定していなかったのですが、結果的にはどちらも学ばせていただくことができました。小児科も家庭医療もどちらも大事な分野ですし、両方で専門医を取得した医師は全国的にも多くないと思いますので、自分の付加価値として活かせる環境を模索している段階です。ただ、家庭医療と小児科を学びましたので、例えば集中治療の場で働くというよりは地域に根ざした場所でできることが多い医師として頑張りたいですね。その場所も開業や診療所ではなく、病院のような大きな単位で働けるところで活かしていきたいと考えています。

専門医制度についてのご意見をお願いします。

小児科の方は機構認定の仕組みとして早く移行していたので、あまり弊害はなかったのですが、総合診療については辛口になります(笑)。総合診療の分野は19ある専門医のうち、多分19番目の扱いを受けているところで、私が取ったのは家庭医療専門医ですが、これが制度変更後は総合診療専門医という形になり、そのあたりがとてもファジーになっています。もともと日本プライマリ・ケア連合学会という家庭医療や総合診療の学会が定めていた専門医資格があったのに、専門医機構に運営母体が変わり、専門医機構が監修している専門医資格が新しくできたことで、狭間の世代の人たちが苦労している状況です。いまだに決まっていないことが多いまま、物事が進んでいるので、そこにかなり不快感を覚えています。

これから専攻医研修の病院を選ぶ初期研修医にメッセージをお願いします。

専攻医研修の病院を選ぶにあたって間違ってしまうことは基本的にはありません。どんな場所にいても指導医が教えてくれますし、今の時代にそんなに理不尽なことはありません(笑)。子ども病院は全国にありますが、専門病院ですので、初期研修医への指導力は弱いです。一方、当院の小児科は初期研修医と一緒に働ける専攻医研修病院としてはかなり大きな規模です。人に教えると、自分の吸収が高まりますので、人に教えるという環境を整えられたうえで、自分も指導を受けられるのがメリットの一つです。沖縄県は特殊で、北海道も同様ですが、他都道府県と患者さんのやり取りをすることがほとんどありません。たまに当院から東京の国立成育医療研究センター病院などに患者さんを送ることがありますが、基本的には沖縄県の中で全て完結するように動いている病院ですので、そういった意味で魅力があります。人口100万人少しの県の全小児の症例を逃さず、当院を含めた県立病院などで診ていく中で、当院が「小児科の最後の砦」みたいな存在ですので、当院にいれば大事な症例を診る機会が豊富です。小児科を希望している初期研修医の皆さんには当院での専攻医研修を是非、お勧めします。

竹川先生の写真

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