北九州市立八幡病院
〒805-8534
福岡県北九州市八幡東区尾倉2-6-2
TEL:093-662-6565
FAX:093-662-1796
病院URL:https://www.kitakyu-cho.jp/yahata/
名前 高野 健一
小児科主任部長 指導医
職歴経歴 1977年に福岡県に生まれる。2001年に宮崎医科大学(現 宮崎大学)を卒業する。産業医科大学病院で研修修了後、2011年富山大学大学院博士課程修了、コーネル大学研究員を経て、2013年から3年間、北九州総合病院小児科で勤務したのち、2016年5月に北九州市立八幡病院に入職する。2020年に北九州市立八幡病院小児科主任部長に就任する。
日本小児科学会小児科専門医・認定小児科指導医など。
北九州市立八幡病院の特徴をお聞かせください。
八幡病院は一般市中病院でありながら小児科の医師が非常に多く、約30人が勤務しています。その中で色々な専門医がおり、幅広いことに取り組んでいます。
市中病院であり、かつ救急病院であり、その中でも小児科は一次救急から二次、三次救急まで、全ての救急を診ています。
一般的には一次救急の場合、歩いて来られる方は急患センターが診ますが、当院はそういった患者さんも小児科で診ています。もちろん、我々小児科だけで対応できない場合は整形外科や外科、形成外科、脳神経外科、泌尿器科などの各専門外科の医師に相談し、応援に来てもらうこともあります。小児においてはほぼ全ての患者さんの初期対応を小児科でしています。
この地区の小児救急は元院長の故市川光太郎先生が「地域の親御さんが困ったときには事情に関わらず、皆さん当院に来院していいですよ」と言って、立ち上げたものです。
高野先生がいらっしゃる小児科の特徴もお聞かせください。
当院には救急だけでなく、小児神経や小児腎臓等の専門医がいますので、専門外来も行っています。また、近年アレルギー疾患の患者さんがとても増えており、アレルギー診療の専門チームがあります。アレルギーに関しては今年から専門研修施設になりましたので、今後アレルギーの専門医の取得も可能になりました。ほかには小児の血液・腫瘍内科があります。一般的には白血病や小児がんなどはこども病院か大学病院等で治療されることが多い中、当院では化学療法や造血幹細胞移植による治療が可能です。
さらには、小児の臨床超音波部門がありまして、日本指折りとも言われる達人の常勤医師を中心に、臨床力とエコー技能を融合した診療を行っています。
もう1点挙げると、これも元院長の故市川光太郎先生が立ち上げたものですが、虐待診療です。現代では児童虐待が問題になっていますが、世間で話題になる前から立ち上げていました。先ほども申し上げましたが当院の小児科は外傷の初期対応まで幅広く診療を行いますので、虐待を見抜く機会が増えます。
一般的な小児救急というと、まず病気を診ます。熱が出た、呼吸が苦しい、嘔吐などの症状を診ます。本来、怪我は小児科の範疇ではありませんが、当院ではまず小児科が診て、何科で診てもらうべきかを判断します。その無駄と思われがちなワンステップがあることで虐待を見抜けることもあります。虐待ではなくとも、家庭環境などを見抜く目は小児科医が優れていますので、怪我や病気だけの治療ではなく、繰り返す怪我の原因がお子さん自身に発達障害や多動症があるのではないかと考えることもできます。院内には虐待対応チームがあり、医師だけではなく、看護師、心理士、また外部にはなりますが、児童相談所、場合によっては警察、検察官、法医学教室の先生と連携して行っています。福岡県では4つほどある虐待拠点病院のうちの1つです。
北九州市立八幡病院の小児科専門研修プログラムの特徴をお聞かせください。
もともと非常に広い小児科という分野ですが、まんべんなく幅広い分野を学んでいただくことを重要視しています。
特に当院ならではのプログラムとして、プログラムが3年間終了した時点で即戦力になること、また、一定期間エコー研修期間を設けることで診察のオプションとしてエコー検査を頼れる武器になるように習得してもうらうことです。未熟児医療など院内で経験できない分野においては院外研修で学んでもらいます。
先生はなぜ小児科を志望されたのですか。
医学生時代に内科系とは決めていました。幼い頃はとても病弱だったのでお世話になった小児科の先生に憧れがあり、子どもも好きだから小児科を選びました。今は病気しないですが(笑)、小学生くらいまでは毎月のように病気をしており、病院の先生との関わりが多かったので、病院の先生という存在を近くに感じていました。
どういうときに小児科医としての遣り甲斐を感じますか。
赤ちゃんに限らず、診ているお子さんが大きく成長したのを目の当たりにしたときです。もちろん一定期間、会わないお子さんもいますが、他科では感じられないことですね。お子さんは回復力もすごいです。ずっと集中治療室にいた子が数年経ち、歩いて学校に通っているということがあったりするとやっていてよかったと感じます。
先生の研修医時代はいかがでしたか。
当時は研修医という名はありましたが、こなさなければならないプログラムというものはありませんでした。大学の医局で勤務していたのですが、その中で一番新人という感じで、とても大変ではありました(笑)。
当時は医学に関する情報収集は教科書か医学雑誌という紙ベースでしたので、大学病院の図書室へ行って情報を探すほかありませんでした。現代の皆さんは図書館にどのくらい医学本が充実しているのか、ご存じないのではないでしょうか。本を探したいが、ないということもありました。今は医学知識も調べれば分かりますが、上手に調べないと出てこないということもあり、医学的なことの検索の仕方を教えることもあります。そうでもしなければ数多くのものが出てくるので、調べたいものにたどり着けないです。
そして出てきた情報の中にどれだけ欲しい情報があるか、ちょっとした調べ方のコツも必要です。Google検索ができても、それだけでは不十分です。私自身もそういったことは誰から教わったか覚えていませんが、2000年初頭から10年、20年経っていく中で少しずつ変化してきました。
研修医を守る姿勢も各医療機関が出してきていると感じます。私の時は医師3年目くらいから救急当直を一人でやることが多かったのですが、少なくとも現在の八幡病院では小児の休日夜間救急は基本的に3人、最低でも2人体制で行っています。協力、相談ができることでストレスは格段に少なくなっています。
専攻医に指導する際、心がけていらっしゃることはどんなことでしょうか。
主体性といいますか、基本的にはなるべく自主性に任せる点です。少しヒントを与え、背中を押すこともしますが、最終的には根拠を持って、本人に決めてもらいます。それにはベテラン医師からの色々な意見も飛び交いますが、それはどこでもあることではないでしょうか(笑)。
どのような医師として巣立ってほしいと思っていらっしゃいますか。
それぞれが医師だと理想とする形でなってほしいと思います。巣立っていく研修医はとても多いです。当院を巣立ってから多方面で活躍し、横の繋がりを持って広がってくれたら、嬉しいですね。
印象に残っている専攻医はいらっしゃいますか。
当院は大変忙しい病院ですので、そこを選んでくるような専攻医はみなさんそれなりに勉強してくるので感心します。
しかし、いざ臨床現場ですぐにできているかというと最初は当然できていないです。勉強会やシミュレーション、教科書で学んだこと、知っていることが出てこず、「こういったときはこう気をつけるんだよ」と話すと、出てくるといった感じです。
しかし2年目、3年目になるとすごくスムーズに動けるように変わっていきます。そういった点は毎年のことながら、頼もしく感じます。同じ1年間の前半と後半とでも違ってきます。知識を身につけること、それを実践することだけではなく、経験を積み上げてきたからこそ、患者さんのご家族への対応の安定感も出てきます。経験していく中で何度か失敗しながら、ますます良くなってきます。
また、なるべく学会へ参加するようにはしていますが、専攻医が毎年何らかの賞を取ってくるので、すごいなと思っています。ときには国際学会で賞を取ってくることもありました。
現在の専門医制度について、感想をお聞かせください。
プログラムが細かくなっているのではないでしょうか。これは専門医機構が中心になっていますので、当院の問題に限らず、福岡県内の他施設、場合によっては他県との連携が求められます。
研修医手帳というものがあり、そのスケジュールを全てこなしていかなければなりませんので、アドバイスできることはしています。中にはのんびりした専攻医もいてなかなか手帳の記載が進まずにひやひやしたりもします(笑)。私が研修医時代はそういったものはなかったので、当時の自分だったらできたかというと、どうでしょうね。
これから専攻医研修の病院を選ぶ初期研修医にメッセージをお願いします。
まずは小児科を選んでいただきたいです。未来ある科目だと思いますので、小児科を選んでいただけると嬉しいです。近隣の初期研修医も来ています。当院を選択肢として考えてくださる方は大歓迎のうえ、全力でサポートします。プログラム終了後の時点で必ず一人前の小児科専門医になることをお約束します。絶対に後悔はさせませんので、是非見学に来てください!