初期研修インタビュー

2023-08-01

洛和会音羽病院(京都府) 指導医(初期研修) 吉村聡志先生 (2023年)

洛和会音羽病院(京都府)の指導医、吉村聡志先生に、病院の特徴や研修プログラムについてなど、様々なエピソードをお伺いしました。この内容は2023年に収録したものです。

洛和会音羽病院

〒607-8062
京都府京都市山科区音羽珍事町2
TEL:075-593-4111
FAX:075-593-4160
病院URL:http://www.rakuwa.or.jp/otowa/

吉村先生の写真

名前 吉村 聡志
洛和会音羽病院 救命救急センター・京都ER医長 指導医

職歴経歴1986年に熊本県熊本市で生まれる。2012年に長崎大学を卒業後、長崎大学病院で初期研修を行う。
2014年に長崎医療センター総合診療科、2015年に長崎大学病院循環器内科、2016年に白十字会佐世保中央病院循環器内科に勤務する。
2019年に京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻専門職学位課程に入学する。(予防医療学分野)
2021年に洛和会音羽病院に救命救急センター・京都ER医長として着任する。
2022年に京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻博士後期課程に入学する。

洛和会音羽病院の特徴をお聞かせください。

 洛和会ヘルスケアシステムには5つの病院、5つのクリニックからなる医療部門があり、このほかにも介護部門と洛和会京都健診センターなどがあり、それぞれが連携、協力してネットワークを作っていることが特徴です。音羽病院はそのネットワークの中の中核病院としての役割を果たしています。私は救命救急センター・京都ERに所属していますが、当院では開設当初から救急に力を入れており、地域の救急を担ってきたことも特徴です。

吉村先生がいらっしゃる救命救急センターについてはいかがですか。

 救命救急センターは2012年に行政から救急医療の実績を評価され、救命救急センターの指定を受けました。これは近畿の民間病院では初めてのことです。救急車での搬送件数は年間7000件と、コロナ禍以後は特に増え、京都府内でも有数です。一次救急から三次救急までを扱うER型で、軽症、中等症から重症の症例まで、幅広く受け入れているのが特徴です。

洛和会音羽病院の初期研修プログラムで学べる特徴について、ご紹介くださいますか。

 診断の基本と救急の初期診療能⼒が確実に⾝につく研修プログラムです。救命救急センターのみならず、医局全体にヒストリー&フィジカルといって、患者さんの現病歴と⾝体所⾒に重きを置く⾵⼟が定着していますので、診療の基本を2年間でしっかり学べます。また症例が豊富です。 特に、救急外来で治療を急がないといけないのか、少し待てるのかというトリアージ能⼒を2年間で十分につけることができます。また、当院は上級医に昼夜問わずに相談できますし、毎朝や昼のレクチャーやケースカンファレンスの機会も多く、オフ・ザ・ジョブ・トレーニングの場も充実しています。

プログラムの自由度についてはいかがですか。

 初期研修医から「来月はERを回る予定でしたが、今月、回っている診療科の研鑽が足りないので、今月の診療科をまだ回りたい」「この診療科に興味が出てきたので、長く回りたい」という要望がよく出ますので、もちろんほかの研修医との兼ね合いもありますが、できるだけフレキシブルに選択できるような対応をしています。

初期研修医の人数は何人ですか。

 1年目が9人、2年目が9人です。人数としてはちょうどいいですね。程よい人数ですので、親身になって教えることができています。救急医と初期研修医は当直などで一緒に過ごす時間が長いので、個人に合った指導ができる人数だと思います。

最近の研修医をご覧になって、いかがですか。

 「仲がいいなぁ」という印象です。新型コロナウイルス感染症も5類感染症に移行し、人との集まりなどが緩和されてきましたので、1年目、2年目を問わず、一緒に食事に行ったり、研修以外の場でも楽しく学んだり、遊んだりしている姿を見ると、いい環境だなと感じます。

指導にあたって、心がけておられることをお聞かせください。

 ⼆つの⼤事なことを⼼がけています。⼀つは医師として最低限の責任を持って診療にあたってもらうということです。これは、責任を負わせるということではなく、患者さんの安全は我々指導医でカバーしながら、研修医の負担にならないように留意しつつも、ある自分の考えに基づいて、診療を行ってもらうということです。研修医の先生方が、医師というプロフェッショナルの自覚と自信を持って診療にあたり成長できるよう配慮しています。もう⼀つは⼼の健康です。救急の現場では様々な主訴で来られる患者さんに対応し、⾊々な判断をすぐに⾏うことを求められますので、初期研修医にはかなりの精神的、⾁体的負担がかかり、⾟いものがあります。そのため、彼らが疲れていないか、オーバーワークになっていないかなどをしっかり⾒ながら教育することを⼼がけています。

研修医に「これだけは言いたい」というのはどのようなことですか。

 当院にはやる気のある研修医が多いので、それだけにオーバーワークにならず、⾝体と⼼の健康を⼤切にしてほしいということです。もちろん患者さんの健康も⼤事ですが、その前に研修医⼀⼈⼀⼈が⼀⼈の⼈間として、⾝体も⼼も健康でないとしっかりとした医療が提供できません。自分の命も大事に、無理せずに、⾃分の健康をケアしながら研修してほしいと思っています。

岩橋先生の写真

先生の研修医時代はいかがでしたか。

 現在は救急にいますが、後期研修では循環器内科を学び、学⽣時代は感染症に興味がありました。そもそも母校長崎大学に入学したのも、⻑崎⼤学には熱帯医学研究所があり、当時から⽇本と世界の感染症研究をリードする存在であったからです。私も学⽣時代には、プリオンの研究室に入り浸っていました。感染症をもっと勉強したいという思いから、⻑崎⼤学病院で初期研修を⾏うことにしました。⻑崎⼤学病院は研修医教育に大変⼒を⼊れており、全国でも屈指の研修プログラムを持っています。また、⻑崎県には離島が多くありますので、地域医療研修に離島医療の研修のオプションがあることも特徴です。私は五島列島にある上五島病院で3カ⽉間の地域医療研修をしたことが思い出に残っています。長崎大学病院の研修プログラムは、大学の最先端医療から地域医療まで幅広く学べるプログラムで是非おすすめしたいと思います。なんだが、長崎大学病院の宣伝になってしまい申し訳ありません(笑)

先生はいつ循環器内科を専門にしようと決められたのですか。

 初期研修2年⽬になってからです。当直などで⼀番困る症例は何かなと考えたときに、循環器は緊急性が⾼く、⽣命に直結するものだと気づきました。急性期での診断能⼒や治療能⼒を⾼めたいという希望もあったので、救急やICUという選択肢もあり、かなり悩んだのですが、循環器内科の治療のダイナミックさに感動し、また、急性期から慢性期、そして予防医療まで幅広い医療を提供できる循環器内科に興味をもち、専門を決めました。

それで、どのような後期研修をされたのですか。

 ⻑崎⼤学の循環器内科学教室に⼊局し、最初の1年間は長崎医療センターで総合診療科の研修をして、市中感染症、糖尿病の教育入院、膠原病診療など、内科診療を幅広く学びました。次の4年間は⼤学病院と市中病院で循環器内科の専門研修を行いました。市中病院では上司のカバーはあるものの、より個人の裁量が大きくなるため、それだけ負担も大きかったです。ただ、その中、悩みながらも成⻑できたことで今の自分がいると思っています。

それから大学院に入学されたのですね。

 臨床の場では基本的には患者さんと1対1で、病気を診断したり、治療したりします。これは⾮常に⼤切なことですが、臨床で学んでいくにつれ「この状況で、心筋梗塞を疑うには、本当にこの心電図所見は有用なのか?本当は有用ではないのではないか?」といった臨床上の疑問が湧いてくるようになり、臨床研究でなければ解決できないこともあるのではないかと思うようになりました。また、臨床研究を通して、より多くの人の健康に役に立てるのではないかと思うようになりました。まずは、臨床研究の「お作法」を勉強しようと考え、臨床疫学を学べる公衆衛生⼤学院に⼊学しました。

研究生活はいかがですか。

 公衆衛生修士(Master of Public Health, MPH)を取得後、現在は博士後期(Doctor of Public Health, DPH)課程に進学し、研究を続けています。⼤学院では臨床疑問(Clinical Question, CQ)を定式化し、Reserch Question(RQ)に昇華させ、RQに基づいた研究を行い、そして結果を出すというプロセスをしっかり学べました。いくつかの論⽂をpuclishできたのですが、臨床疑問に基づいて、様々なデザインや研究手法を用いて研究を行い、論⽂化するというプロセスを経ることができたのは⾃分の強みになっています。「巨人の肩の上に立つ」とも表現しますが、これまでのエビデンスに自分の研究が加わり、世界の臨床プラクティスがより良い方向に変わり、日本中、世界中の患者さんの健康に寄与しうるかもしれないと考えると、少しワクワクします。また、世の中には多くの「エビデンス」があります。新型コロナウイルス感染症に関しても様々な研究が出てきましたが、それが本当に正しいものなのか、きちんと「お作法」に則って⾏われ、その研究から導き出される結論が間違っていないのかどうかを、⼤学院で学んだことによって、批判的に吟味できるようになりました。論文やガイドラインを読み解く能力をつけることができると、実臨床にも役に⽴ちますし、⼤学院で学びの有難みを日々感じています。

洛和会音羽病院に来られた経緯をお聞かせください。

 京都⼤学の⼤学院に⼊学したときに、先輩の救急医の先生から当院を紹介していただき、⾮常勤勤務を始めました。当初は、特に外科や小児救急に関しては、不慣れな点もあったのですが、当院や他院の救命救急センターで⾮常勤勤務をしながら、その場の救急専門医、指導医、小児科専門医の先生方に鍛えていただき、「救急医」としての研鑽を詰みました。2021年に当院の常勤医師になりました。自分は、総合内科専門医や循環器専門医、カテーテル治療の認定医の資格は持っていますが、救急科専門医は保持しておらず、現在取得に向けて、部長の隅田先生、副部長の宮前先生に助けられながら、救急医としての修練を積んでいるところです。

「こんな研修医がいた」というエピソードがあれば、お聞かせください。

 特定の研修医はいないのですが、嬉しいことはあります。1年⽬の8⽉あたりだと個⼈の診療能⼒の差が⼤きく、「この先⽣、⼤丈夫かな? しっかり成長できているかな?」と⼼配になることがたまにあります。でも、それぞれが努⼒し、学び、成⻑して、2年⽬の後半には皆が⼀⼈前の医師として働いているのを⾒ると嬉しいですし、感慨深いです。

現在の臨床研修制度についてのご意見をお聞かせください。

 賛否両論あるようですが、どの時代であっても制度というものは古びていきます。制度自体の欠陥があっても、我々のときは我々の制度、今の研修医は今の制度のもとで成長していかなくてはいけません。研修医には今の制度の中でいかに成長できるのかを考えて、学んでいってほしいと思います。

専門医制度についてのご意見もお願いします。

 救急科では今回の改正により、学ぶべき症例がプログラム化され、定められました。これはとても良いことですね。経験すべき症例が明確になると、それが目標となります。

これから初期臨床研修病院を選ぶ医学生に向けて、メッセージをお願いします。

 私⾃⾝も⾊々な病院に⾒学に⾏きましたし、「百聞は⼀⾒にしかず」です。旅⾏と同様で、ガイドブックやホームページだけを⾒ても、現地のことはわからないように、研修病院も、実際に行ってみないと、その病院の良し悪しは分かりません。いくつかの病院に⾒学に⾏くと、研修内容の微妙な違いが分かってきます。時間も限られているかと思いますが、悩んでいる病院があるのであれば、複数の病院に⾒学に⾏って、⽐較してみるのが良いと思います。それでも(なおさら?)、選択に迷うこともありますが、最終的にはご自身の「第六感」、「この病院いいな」という⾃分の思いを信じてみてはどうでしょうか? 自分で出した結論であれば、きっと後悔しないはず?です(まぁ、人生に後悔はつきものですが…)。当院はいつでも⾒学していただけます。是⾮いらしていただき、現場の診療を⾒てください。ERも⾒学できますよ。あ、あと、当院のER診療のエッセンスは、当センター副部長責任編集の、京都ERポケットブック第2版(医学書院)に詰まってます! 是非ご一読を!

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