初期研修インタビュー

2023-11-01

社会医療法人緑泉会 米盛病院(鹿児島県) 指導医(初期研修) 梅澤耕学先生 (2023年)

社会医療法人緑泉会 米盛病院(鹿児島県)の指導医、梅澤耕学先生に、病院の特徴や研修プログラムについてなど、様々なエピソードをお伺いしました。この内容は2023年に収録したものです。

社会医療法人緑泉会 米盛病院

〒890-0062
鹿児島県鹿児島市与次郎1-7-1
TEL:099-230-0100
FAX:099-230-0101
病院URL:https://www.yonemorihp.jp/

梅澤先生の近影

名前 梅澤(うめざわ) 耕学(こうがく)
社会医療法人緑泉会 米盛病院 指導医 米盛病院救急科副部長 卒後臨床研修センター長

職歴経歴 北海道深川市生まれ。2005年に旭川医科大学を卒業後、JA北海道厚生連帯広厚生病院で初期研修を行う。2007年に湘南鎌倉総合病院で救急科の後期研修を行う。2011年に湘南鎌倉総合病院救急科に勤務し、救急科医長に就任する。2018年に厚生労働省健康局、保険局に勤務する。2020年に米盛病院に救急科医員として着任する。2022年に米盛病院救急科副部長に就任し、卒後臨床研修センター長を兼任する。
資格 日本救急医学会救急科専門医、ICD制度協議会インフェクションコントロールドクター、日本中毒学会認定クリニカル・トキシコロジスト。

米盛病院の特徴をお聞かせください。

 米盛病院は2022年度の救急車受け入れ件数が6377件と、鹿児島県内ではトップクラスであり、ドクターヘリの補完やドクターカーも保有するなど、救急に力を入れている病院です。
 また全国に20数カ所しかないハイブリッドERも完備しています。ハイブリッドERは救急車からそのまま搬入でき、患者さんはベッドに寝たまま診察、CT撮影、手術(カテーテル手術含む)まで受けることができるというものです。
 特に外傷に力を入れており、重症外傷の件数も非常に多くなっています。一方で、内科に関しても、最近は敗血症や重症感染症などの搬送が増えていますし、初期研修医も様々な研修が可能です。

梅澤先生がいらっしゃる救急科の特徴もお願いします。

 救急科は、当院の救急の入り口になっており、救急科の医師が救急車で運ばれてくる患者さんもウォークインで来院される患者さんも全てファーストタッチしていますので、「とりあえず何でも診る」という姿勢を心がけています。
 鹿児島県の病院ではありますが、救急科には鹿児島県出身の医師が少なく、県外からの医師の方が多いので、それぞれが色々なキャリアを積んでおり、そういう意味では偏りのない考え方が身についたり、多様なキャリアアップの話が聞ける診療科だと思います。

米盛病院の初期研修プログラムで学べる特徴について、ご紹介くださいますか。

 救急患者さんが多いので、救急の入り口から主体性を持って、積極的に経験できることが一番の特徴です。
 また重症の患者さんが比較的多いので、手技の経験を豊富に積めます。初期研修医自ら経験できる機会に恵まれていることが特徴ですね。

プログラムの自由度についてはいかがですか。

 1年目は内科、外科、救急科、麻酔科という必修科を回るのみですが、2年目は産婦人科、小児科、精神科、地域医療が必須ですが、それ以外の7カ月は選択期間ですので、その期間は自由に選択できるようになっています。

初期研修医の人数は何人ですか。

 1年目2人、2年目2人の4人です。それぞれ2枠に対しての2人ですので、フルマッチしています。
 2024年度からは2枠が5枠に増員となりますので、フルマッチすれば、1年目5人、2年目2人ということになります。

最近の研修医をご覧になって、いかがですか。

 全国の病院同様に、当院でも働き方改革が整備されてきたので、初期研修医もある意味で時間の制限を受けていると思いますが、その中でよく勉強しているなという印象を持っています。

初期研修医の指導にあたって、心がけておられることをお聞かせください。

 はじめから答えを言うのではなく、できるだけ研修医の話を聞いて、ディスカッションをし、研修医自らが答えを出せるように誘導するイメージで話をするようにしています。
 ただ、私は救急科の医師なので、ゆっくりディスカッションしている時間がないときもあります。そういうときは必要最低限のディスカッションで済ませますが、基本的には研修医が自分で答えを出せるような形での指導を心がけています。

掛川先生の写真

研修医に「これだけは言いたい」というのはどのようなことですか。

 初期研修医は色々な意味で時間が限られていますので、その限られた時間を効率よく使って学んでほしいです。指導医もうまく使って学んでもらいたいですね。
 それから仕事とプライベートはきっちり分けた方がいいです。仕事の時間が限られている分、プライベートは充実できると思うので、プライベートではしっかり遊ぶことも大事です。

先生が初期研修先に帯広厚生病院を選ばれたのはどうしてですか。

 まず個人的な考えとして、大学に残るとか、ほかの大学病院に行くなど大学で研修したいという思いが全くなかったんです(笑)。
 帯広厚生病院は研修している先輩方の評判がとても良かったので、見学に行ったところ、雰囲気が良く、色々な先生方に指導を受けられそうだと感じたんですね。
 それで帯広厚生病院だけを受験しました。これに落ちたら、大学病院の二次募集に応募しようと考えていましたが、合格できて良かったです。
 帯広厚生病院は地域の柱となっている病院で、救急の患者さんも一般外来から入ってこられる患者さんも指導医の数も多く、良い研修ができました。
私の知識や技術は帯広厚生病院での初期研修がベースになっていると思っています。

救急科を専門にしようと思われたのは初期研修のときですか。

 学生の頃は漠然と小児科医を目指していたのですが、初期研修中に子どもに限らず、年齢を問わず、内科や外科も問わず、色々な疾患を診ていきたいと思うようになりました。
 そして、いわゆる重症救急ではなく、ER型救急を学びたいと考え、後期研修では湘南鎌倉総合病院を受験しました。

湘南鎌倉総合病院での後期研修はいかがでしたか。

 非常に忙しく、イメージ通りの病院でしたね(笑)。今は私がいたときよりも救急車の台数が増えているので、さらに大変になっているのではないかと思います。
 ERは3交代制でオンオフがはっきりしていたので、プライベートな時間が増え、充実していたのですが、後期研修医は色々な診療科をローテートするので、ローテート先の診療科によっては時間の融通が利かないこともありました。
 それでも様々なことを吸収でき、とてもいいプログラムだったと実感しています。当時の部長が「ER型の救急医になるんだったら、離島など、どこにいても、どんなに限られた医療資源であっても、その場でベストを尽くせる医師になれ」という信念をお持ちで、その場にあるものと自分の技術でベストを尽くすことの大切さを学べました。

後期研修終了後に湘南鎌倉総合病院に就職されたのですね。

 就職先を探していなかったというのが正直なところです(笑)。
 ただ4年だけでは学びきれないこともありましたし、後輩も大勢入ってきて、後輩を教育することは自分の勉強にも繋がりましたので、そういう観点からも湘南鎌倉総合病院に残るという選択肢を選びました。

掛川先生の写真

なぜ米盛病院に勤務されるようになったのですか。

 湘南鎌倉総合病院の後期研修医が増えてきて、老害とは言わないものの(笑)、上が残りすぎると下が上に行けず、したいことができないもどかしさが出てくるのではないかと思うようになってきました。湘南鎌倉総合病院のスタッフになったときに、当時の部長の意向もあり、米盛病院でドクターヘリの短期研修を受けていたんです。
 そこで米盛病院とのお付き合いが始まり、米盛公治理事長からのお声がけもいただいたので、米盛病院で勤務することになりました。移ってすぐに厚生労働省に出向しました。

厚生労働省で勤務されたのはどうしてですか。

 米盛病院に勤務することになったときに、米盛病院に厚生労働省の医系技官を出してくれないかという話があったからです。個人的にも興味があったので、お受けしました。

厚生労働省ではどのような仕事をされたのですか。

 健康局と保険局に所属していました。健康局では予防接種室にいて、予防接種の施策を進めていました。コロナ禍の前ですので、コロナワクチンの話はもちろんありません。予防接種は法律に基づいているものなので、例えば当時ですとロタウイルスの定期接種に向けた法制化などを議論していました。一方で、保険局の花形は診療報酬を決める医療課ですが、私がいたのはその隣の保険データ企画室です。全国から送られてきたレセプトデータが保存されているデータベースを管理する仕事をしていました。そのデータを厚生労働省だけでなく、研究者の方々や他省庁に提供し、患者さんや治療の傾向の分析などに使ってもらっていました。
 厚生労働省には優秀な人たちが多く働いていて、勉強にもなりましたし、人との繋がりもできたので、今では行って良かったと思っています。

鹿児島にいらしてみて、いかがですか。

 鹿児島の方は本当にいい方ばかりで、鹿児島に移ってきたことが全く苦になっていません。むしろ鹿児島に来て良かったなと感じています。

「こんな研修医がいた」というエピソードがあれば、お聞かせください。

 私は卒後19年目で、これまで様々な研修医を見てきたため、特定の研修医のお話をすることは難しいですが、私をすぐに超えてしまうだろうなと思える研修医やまだまだたくさんのことを吸収して欲しいなと思える研修医などがいました。どの研修医もそれぞれにいろんな考え方を持っており、そういう見方もあるのかと研修医から私が学ばせてもらったことの方が多かったように思います。

現在の臨床研修制度についてのご意見をお聞かせください。

 働きすぎない、無理をさせすぎないという観点からは以前に比べると良い制度になっています。
 研修制度について意見を申し上げるのはおこがましいのですが、まだまだ改善の余地があるように思えます。
 これから高齢化がますます進展していきますが、高齢の患者さんの中で、一つの診療科の診療だけで済む方はほぼゼロです。
 そのため、今の研修制度で自分の専門診療科以外についても学び、ジェネラルに診られる医師を育てることには意味があると思っています。
 しかし、今の制度でジェネラルな医師を育てるには限界がありますし、初期研修医にどこまで学んでもらうのか、ゴールが見えない難しさもあります。

専門医制度についてのご意見もお願いします。

 救急科に関しては学会主導の頃と専門医機構が主導になってからとでは大きな差がなく、このまま続いてほしいです。
 しかし、日本の救急医療の歩みが色濃く出た結果なのでしょうが、ER型救急医を育てるのか、重症のみのICU型救急医を育てるのかが少し曖昧になっているので、それを分けた方がいいのか、一緒くたにした方がいいのかを考えなくてはいけないと思います。
 その中で、いわゆるER型救急医を育てるのであれば、各科ローテートという形をとるべきですし、そのあたりを踏まえた制度設計にしていかなくてはいけないのではないかという気持ちがあります。

これから初期臨床研修病院を選ぶ医学生に向けて、メッセージをお願いします。

 病院選びは難しいし、大事なことですが、プログラムよりも指導医やメンターの存在の方を重視しましょう。
一番重要なことは自分に合う、または自分が目標にできる指導医やメンターを見つけることです。どうしても都市部の有名研修病院に目が行きがちですが、地方の病院にもいい教育者やメンターとして頑張っている医師が少なからずいますので、時間が許す限り、色々な病院に見学に行ってほしいです。
 同期が多いと良い面もありますが、多くても症例の取り合いになったり、一人あたりの症例数が少なくなったりするので、同期の数にはこだわらなくていいと思います。
 米盛病院は救急科に限らず、どの診療科にも県外出身の医師がいて、それぞれが多様なキャリアを積んでいますので、今後のキャリアアップに繋がる、いいお話が聞ける環境です。是非、見学にいらしてください。
 また当院では学生さんの2週間や1カ月という短期研修もお受けし、学生さんにも手技を経験してもらっています。そのぐらいの期間だと、どんな指導医がいて、どんな雰囲気なのかをつかみやすいはずですので、短期研修もご検討ください。

梅澤先生と研修医の写真

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