沖縄県立南部医療センター・こども医療センター
〒901-1193
沖縄県島尻郡南風原町字新川118-1
TEL:098-888-0123
FAX:098-888-6400
病院URL:https://nanbuweb.hosp.pref.okinawa.jp/
名前 張(ちょう) 慶哲(よしあき)
沖縄県立南部医療センター・こども医療センター 小児感染症内科 指導医
職歴経歴 1984年に奈良県生駒市に生まれる。2009年に大阪市立大学を卒業し、PL病院で初期研修を行う。2012年に長野県立こども病院で小児科の後期研修を行う。2015年に東京都立小児総合医療センター総合診療科に勤務する。2019年に沖縄県立南部医療センター・こども医療センター小児感染症内科に着任する。2023年に沖縄県立南部医療センター・こども医療センター臨床研修管理副委員長、小児科副プログラム統括責任者を兼任する。
資格 日本小児科学会専門医・指導医、日本小児感染症学会専門医・指導医、ICD、沖縄県新型コロナウイルス感染症対策専門家会議委員など。
沖縄県立南部医療センター・こども医療センターの特徴をお聞かせください。
当院は大人の総合病院と小児の専門病院が併設されている、全国でも珍しい形の病院です。
大人の急性期疾患から集中治療、地域医療まで、幅広い成人の診療を行っていることに加え、小児も細分化しており、小児の集中治療、新生児治療、血液、循環器などの多様な疾患を診療している、非常に特徴のある病院です。
張先生がいらっしゃる小児感染症内科の特徴もお聞かせください。
小児科の医師からのコンサルテーションを中心に診療を行っています。
特に小児の集中治療、NICU、血液は感染症と切っても切り離せない関係にあり、どうしても感染症が起こりやすい分野です。専門性の高い感染症が起きる場合もありますので、小児感染症内科ではそれに対するコンサルテーションをして、併診の業務を行っています。私の場合は小児に限らず、成人のコンサルテーション業務も一部担当しています。
もう一つは新型コロナウイルス感染症関連で皆さんによく知っていただけるようになりましたが、院内の感染管理も行っています。病院全体として、感染症が入り込まない、感染症が広がらないようにするためにどのように取り組むべきなのかということを中心になって進めています。
沖縄県立南部医療センター・こども医療センターの小児科専門研修プログラムの特徴をお聞かせください。
専攻医3年目は離島、または沖縄県の北部地域などの小児科医が少ない地域に行き、小児科医としての全般的な業務を一人で行いますので、1、2年目はそれができるようになるための研修を当院で行っています。専攻医3年目で離島で一人で働け、自分が磨いた腕を発揮して、しっかり地域に貢献してもらえる医師を育てることが大きな目標ですので、専攻医1、2年目の2年間は小児科のベーシックな研修と専門研修の両方を行います。
小児科の中では小児総合診療科がベースにあり、病棟業務や救急での業務を行いつつ、循環器、血液、集中治療などの専門科の研修を行えるような質を担保した研修です。
沖縄県立南部医療センター・こども医療センターの小児科で専門研修をされた先生方はどのようなキャリアアップをされていますか。
小児科の3年目の専門研修を離島などで終えると、当院に戻ってくる人もいますが、もう少し離島で自分の力を試したい、離島で主治医としての繋がりができたことから、あと数年は離島に残りたいなどの理由で、離島で小児科のスタッフになる選択をする人もいます。
また、離島での数年を終えて、さらに専門性を高めるために新生児科や集中治療、血液に進むなどのサブスペシャリティを求めたうえで当院に戻ってくる人もいます。もちろん、大学に行ったり、沖縄県外に出ていく人もいます。小児科のサブスペシャリティを身につけるために当院に戻ってくるパターンは結構多いですね。これが良い循環になっています。
カンファレンスについて、お聞かせください。
小児感染症内科では毎朝、成人の感染症科の医師と共同で症例のカンファレンスを行っています。
当院は小児と成人をシームレスで診ているので、このカンファレンスで診療方針を決めたり、抗菌薬の選択や治療期間、感染症のフォーカスがどこにあるのかということを話し合っています。カンファレンス後は患者さんのベッドサイドに向かいます。それから感染管理の業務でのカンファレンスもあります。感染管理は医師だけでなく、感染管理認定看護師や薬剤師と協働しながら進める必要がありますので、週に1回、感染管理チームのカンファレンスを行い、病院全体を俯瞰するような時間を設けています。
専攻医も発言の機会が多いですか。
感染症科との朝のカンファレンスでは専攻医が患者さんのプレゼンをして、私たちが助言していく形です。
女性医師の働きやすさに関してはいかがでしょうか。
数年前にはお子さんを育てながら後期研修のプログラムを行った人がいました。数年前のことなので、最近とは事情が違いますが、やはりNICU、PICUは時間的な拘束が長かったり、ハードだったりするので、朝の時間を有効に活用しながら、夕方はなるべく時間通りに帰れるように工夫をして、皆で取り組んでいきました。
私個人としても、プログラムとしても世の中の多様な流れに対応していかなければならないので、長時間働くというのではなく、働き方の質を上げていけるように、引き続き努力していかなくてはいけないと考えています。
女性の医師は大歓迎ですし、女性医師だけでなく、男性医師も医師としてのキャリアだけでなく、自分の人生を大切にしてほしいです。私自身も子育て真っ最中ですし、半年や1年という期間ではなく、5年後、10年後、医師としてのキャリアと自分の人生をどういうふうに重ねていきたいのかということを意識しましょうという話をするようにしています。
先生はいつから小児科を目指していたのですか。
学生時代の臨床実習で最初に病棟に出たのが小児科で、そのときの楽しい雰囲気がそのあともずっと忘れられなかったんです。子どもと一緒に過ごせると楽しく仕事ができるのかなという単純な理由で、小児科を志望しました。
私は高校まで奈良県にいて、大学は大阪市立大学だったので、当時はこれからも関西近辺で過ごしていくんだろうなと想像していたんです。それで母校の関連病院でもあり、小児科の経験を積める市中病院でもあるPL病院で初期研修をすることにしました。
初期研修の思い出をお聞かせください。
小児科をメインで回ったのですが、耳鼻咽喉科など、色々な診療科も回りました。その頃の私は既に感染症が好きだったのですが、当時のPL病院には感染症科がなかったので、細菌検査室をローテートさせてもらって、技師さんに教えていただいていました。
そういう経験は現在の院内を俯瞰してみるというコンサルテーションの業務にとても役立っています。
感染症にはいつから興味をお持ちだったのですか。
初期研修で小児の診療をしているうちに興味を持ちました。「風邪の子どもには皆、抗菌薬を出すのかな」「何でこの子どもには抗菌薬を選択されているんだろう」などの疑問を持ち、研修医同士で勉強会をしたりしていました。同期が4人と少なかったこともあり、自分たちでフットワーク軽く勉強会をしていました。
2年目になると、ICTなどの病院全体でどういう感染症が起きているのかを話し合うようなカンファレンスに参加させていただいたり、色々な経験をさせていただきました。
長野県立こども病院で後期研修をされたのですね。
子どもが難しい病気を抱えて生まれてきたり、途中で難しい病気になったり、あるいは突然、集中治療が必要な重症な状態になったりしたときに二次救急の病院ではそれ以上、手が届かず、もどかしい思いがありました。
そのため、難しい基礎疾患を抱えた子どもにも私自身ができることを増やしていきたい、それまで診られなかった小児の三次救急の世界をしっかり診ていかないといけないと考え、小児の専門病院での後期研修を志望しました。
後期研修はいかがでしたか。
笠井正志先生との出会いが大きかったです。笠井先生は今もお世話になっている恩師であり、メンターですね。後期研修を始める頃は長野でNICUやPICU、集中治療のような領域に進むことを考えていたのですが、集中治療の知識があまりなく、楽しさはあっても、身体的な厳しさを感じることの方が多かったです。
そんなときに小児感染症という分野で黎明期の頃から活躍されている笠井先生に出会いました。初期研修の頃から感染症が好きだったこともあり、私も目の前の患者さんだけでなく、将来の患者さんや病院全体の患者さん、ひいては病院全体、地域全体を俯瞰し、良くしていける仕事がしたいと思うようになりました。
同期は4人でしたが、佐久総合病院や淀川キリスト教病院からも半年から1年のスパンで来ていたので、他院からの同期も合わせると7、8人いました。皆、小児の循環器科や新生児科などですごい小児科医になっていますよ(笑)。今もときどき学会で会ったりしています。
沖縄県立南部医療センター・こども医療センターにいらした経緯をお聞かせください。
後期研修終了後に小児感染症の分野をより深く勉強するために、東京都立小児総合医療センターで感染症科のフェローになりました。その頃、笠井先生が兵庫県立こども病院に移られたんです。それで私も都立小児でのフェローシップが終わったときに兵庫で笠井先生と一緒に働くことになりました。
2018年に笠井先生が沖縄県立南部医療センター・こども医療センターで講演をされることになり、「お前も鞄持ちとして来い。」と言われ、沖縄についていったんです。当時の当院には成人の感染症の専門家も小児の感染症の専門家もおらず、医師がICT業務にほとんどタッチしていない状況でした。それで当時の当院の総合周産期母子医療センターのセンター長でいらした宮城雅也先生から「誰か来てくれないかね」と言われ、「じゃあ行きますか」ということで、当院に赴任することになりました。
沖縄にいらしてみて、いかがですか。
沖縄に来て4年半ですが、本当に過ごしやすいところです。人々も温かいですね。沖縄に来てから、子どもが生まれたのですが、子育てしやすく、暮らしやすい環境だと思っています。
専攻医に指導する際、心がけていらっしゃることはどんなことでしょうか。
それぞれが最終的に目指す場所も価値観も違いますので、本人たちが望む理想の医療、自分がどんな人生を過ごしたいのかということを意識することを心がけています。
私自身が経験したことというのはとてもパーソナルで、限られたことなので、自分の経験を伝えることよりは彼ら、彼女たちがどうしたいと思っているのか、どこに進みたいのか、そのために今、何を学びたいのかを図式化しながら、そこに当てはまるアドバイスがあればアドバイスをしています。
私は15年目なのですが、専攻医に間違えられることもよくあります(笑)。気持ちは専攻医ぐらいだと自覚しているので、彼らと一緒に悩んだり、私も知らないことであれば一緒に調べようといったスタンスで、一緒に学びたいと思っています。
今の専攻医を見て、いかがですか。
皆、人と仲良くするのが上手ですね。一人で何かをしていくというよりも皆で協力しながら楽しくやっていくのが好きそうですし、うまいです。
症例をがつがつ診ていきたいという人は少なくなりました。その中でも当院の専攻医は2年のプログラムを終えたら、3年目には離島で一人前に働かないといけないという目標がありますので、救急で患者さんを積極的に診るなど、前向きに取り組んでくれていると思います。
現在の臨床研修制度について、感想をお聞かせください。
私は感染症が専門なのですが、感染症はコンサルテーション科です。
小児科はもちろん、内科、外科、産婦人科の先生方からもお話をいただきますので、それぞれがどういうことをしていて、どういうことで困るのかはスーパーローテートをしたからこそ分かるんですね。
お互いに分かり合うことができると助け合うことができるし、それは医療に必要なことだと思います。
現在の専門医制度について、感想をお聞かせください。
小児科は大きく変わらず、専門医の取得にあたっては数年前から自分が筆頭著者の論文を1本書くことが義務づけられましたが、それは必要なことだと思います。
臨床家は臨床だけをしていたらいいわけではなく、経験した症例についてでも、もちろん研究したことについてでも論文にして、皆の役に立っていかないといけません。当院は沖縄にありますが、県外や国外の学会への参加を勧めています。
私は都立小児のフェローのときから国際学会にも行かせてもらったり、沖縄に来てからも論文を書いたりしてきました。今年は小児感染症関連の国際学会に小児科の専攻医2人が参加して、発表してくれました。これからの専攻医にも国内の学会のみならず、海外の学会に行ったり、論文を書いたりしてほしいですし、そういう機会をしっかり設けられるようにサポートをしていきたいと考えています。