専門研修インタビュー

2024-12-01

社会医療法人 緑泉会 米盛病院(鹿児島県) / 指導医(専門研修) 倉田秀明先生 (2024年)

米盛病院(鹿児島県)の指導医:倉田秀明先生に、病院の特徴や研修プログラムについてなど、様々なエピソードをお伺いしました。※この内容は2024年に収録したものです。

社会医療法人 緑泉会 米盛病院

〒890-0062
鹿児島県鹿児島市与次郎1-7-1
TEL:099-230-0100
FAX:099-230-0101
病院URL:https://www.yonemorihp.jp/

倉田先生の顔写真
名前
倉田 秀明(くらた ひであき)先生
役職
医局副医局長 / 救急科副部長 / 医療安全部部長
経歴
1979年 宮崎県に生まれる
2005年 熊本大学医学部 卒業
2007年 福岡徳洲会病院 初期研修
2009年 福岡徳洲会病院 救急総合診療部 後期研修
2010年 東京大学医学部附属病院 救急部・集中治療部 後期研修継続
2011年 東京大学医学部附属病院 救急部・集中治療部 助教
2012年 奈良県民間病院 勤務医
2016年 米盛病院に勤務
専門分野
救急全般 / 外傷 / 感染症
専門医資格
日本救急医学会救急科専門医

米盛病院の特徴をお聞かせください。

倉田先生の近影

患者様を断ることなく基本的に全般を受け入れ、鹿児島のニーズに合わせて、育ってきた病院です。10年前、元々整形外科の単科から病院がスタートしているので、整形の患者様は多かったです。そこに救急科ができることによって、全身管理まで対応できるようになりました。例えば脊椎の外傷や骨盤の外傷などの体幹に関わる外傷の場合、他の頭の損傷や内臓の損傷を受けていることも多く、全身管理が必要になってきます。外傷を診られる病院は限られていて、単科の病院であれば単発外傷しか診ることができません。バックアップ体制が整っている病院でないと、多発外傷を受けるのは難しくなります。鹿児島県を含む南九州地方に、元々多発外傷の受け入れができるような病院が少なかったという背景もあり、成長を続けている病院です。

倉田先生がいらっしゃる救急科の特徴もお聞かせください。

当院の救急科には鹿児島出身者が少なくて、全国から集まった先生方がいらっしゃいます。ですので、それぞれのバックグラウンドが違って面白いです。例えば外傷が得意だったり、プレホスが得意だったりと多種多様で、色々な文化が混ざっているような救急科ですね。お互いが得意なところで力を発揮してもらって、みんなで力を合わせてチーム医療を行っています。

救急科プログラムの特徴をお聞かせください。

病院によって例えば内科重視のプログラムだったり、外傷を診るのに特化したような救急プログラムだったり、マイナー系が入っているプログラムだったりと様々なプログラムが用意されていると思います。

当院ではそれぞれの専攻医の先生に合わせたプログラムを作っていきます。研修を行う中で、自分は手術までやりたいとか、ここをもっとやってみたいなど、個人個人に色々な色が出てくるので、それに合わせてこういうのをやってみようかとか、他の施設でここを勉強してみようかとか話をしながらプログラムを形成していきます。

ドクターカーやドクターヘリでの独り立ちに向けてはどのような力が必要ですか。

独り立ちするまでに手技の技量はもちろん重要です。例えば気管内挿管ができる、胸腔ドレーンができるとかですね。あとはそこに至るまでのアセスメントで本当に挿管が必要なのかとか、現場でしないといけないのか、などの色々な臨床判断をすごく短い時間で迫られるので、クリニカルジャッジメント、いわゆる臨床判断が取れるかというのも重要です。

あとは救命士さんや看護師さんなどの他職種の方々と連携取らないといけないので、チームとしてうまく連携が取れるかという点も必要になってきます。また、チームのメンバーだけではなく、患者様に配慮ができるか、患者様ご家族への配慮もできるかも大切です。私が現場にいない場合は、実際に一緒に行った看護師さんなどに話を聞きながら、チームでの連携が上手くいっていない部分があったり、患者様への対応が適切ではなかった場合があったりしたときは適宜指導を行います。最終的にトータルで見て基準をクリアし、独り立ちをして大丈夫と判断できたら、なるべく早く独り立ちをしてもらっています。独り立ちするまではOJTで上級医に同行し、徐々にできるようになっていっていただきます。

倉田先生は、どのようなキャリアアップをされましたか?

倉田先生の近影

私は福岡徳洲会病院で初期研修を行いました。そこは北米型ERを実践している病院で、1次から3次まで様々な救急患者が子供も高齢者も全部運ばれてくるような病院でした。そこですごくたくさんの患者様を診させてもらい、かなりの症例数を勉強させてもらいました。そのため、3年目以降も実践経験が積める病院で勉強したいと病院を探しており、後期研修は東京大学の救急に行くことになりました。きっかけは東京大学の救急集中治療部に当時いらっしゃった先生から誘っていただいたことでした。その先生は、本場アメリカのUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)というところで救急医をされていた先生です。

後期研修ではその先生のもとでICUの勉強や感染症内科の勉強をさせてもらいましたが、外科系の救急を経験することができませんでした。東京大学には医師も専門の先生も沢山いらっしゃるので、外科系の救急を勉強しなくても困らなかったのですが、埼玉や山梨など近隣の県で非常勤をしていた時に、専門的な医師が不足している中、自分自身で根本的な治療が行えず救命できないという悔しい思いをしました。

自分で根本的な治療ができないと、状況によっては救命できないという現実があるんだというのを知ったので、外科系の救急を学ぶために自分の知っている先生がいらっしゃった奈良県の民間病院行って、その先生のもとで外科・脳外科分野の手術を経験し、それまでに培ってきた救急の知識を生かしながら研修をしました。

そこで5年ぐらい研修をして、救急から手術、術後全身管理までを実践して一通りできるようになったタイミングで、卒後10年以上経ってきていたので、地元の九州に戻ろうと思いました。そんな時に米盛病院という色々なことをやっている少し変わった病院を知り今の理事長と話をしたところ、特に外傷患者様が多いことを知りました。自分は外傷をやりたかったこともあり、米盛病院に入職することになりました。米盛病院に来てからはERや外傷の手術にも入りながら、ドクターカー・ドクターヘリも乗らせていただいて、集中治療は専属のチームと一緒に病棟管理に入って勉強させてもらうという感じで救急全般を診て働かせていただいています。

専攻医に指導する際、心がけていらっしゃることはどんなことでしょうか。

よく話をすることが一番大切かなと思っています。全く同じ救急医というのは存在せず、色々なタイプの救急医がいると思います。自分の中の救急医像というのも、最初の研修している頃と今では全く違いますし、毎年自分の人生のプランに合わせてどんどん変わっていくものだと思います。もちろん救急医としての初期対応能力は、当然みんな持つべきなので身につけていただく必要はありますが、そこから派生して自分はこういうこともやりたいというのが出てくればその都度専攻医としっかり話をします。患者様への医療の質を担保しながら、やりたいことに挑戦できる環境を出来る限り提供することで本人のモチベーションを保てるよう一緒に考えていこうというスタンスです。

また、話をするときには心理的安全性を確保し、こういうことがしたいと言えるような環境を作ってあげて、よく話を聞きながら一緒にプランニングしています。

救急医としてだけではなく、人生設計としても、どういうところを目指しているのかを一緒に考えながら、短期目標としてはこういうことやってみようとか、長期的にはこういうことを意識してやっていこうなどの話をしています。

印象に残っている専攻医のエピソードはありますか。

一番印象に残っている事は、メディカルラリーというイベントに関するエピソードです。メディカルラリーとは、例えば災害の現場や院内の急変現場、妊婦さんが倒れているなど色々なシチュエーションが用意されていて、救急対応が問われる大会です。このイベントに毎年出るようにしており、基本的に専攻医に出てもらうので、私は監督の役割をしながら一緒に大会に出場しています。

最初は成績がなかなか上がらなかったのですが、練習を重ねていき大会出る度に成績も上がり、去年はある大会で優勝という結果を残すことが出来ました。

去年優勝した時は、私もプレイヤーとして参加したのですが、今月開催された大会には一切関与せず、専攻医中心に練習を重ねて3位という結果を残すことが出来ました。練習も全部本人たちに任せてみたところ、自分たちで課題を見つけて練習を組み立てて大会に挑んでいました。教えられて育つチームから自分たちで育てる、育っていくようなチームになったなぁというところをすごく感じて、あとはもう自分たちで成長していけるなと確信し、本当に嬉しかったです。

メディカルラリーの練習期間はどれくらいですか。

大会がなくても月に1回~2回は練習をしていますが、大会前の2、3ヶ月前からは週に1回~3回ほど練習をしていました。大会に参加するチームは医師が2名と看護師2名と救命士2名の合計6名です。専攻医だけに限らず、若手の看護師とか救命士が協力し、自分たちで練習メニューを作って練習してという感じですね。

カンファレンスについて、お聞かせください。

倉田先生の近影

当院の救急科が特徴のある組織で、狭い意味での救急科は日常診療の救急現場を回す医師やプレホスピタルを行う医師、院内急変に対応する医師などがいます。

広い意味での救急科(救急グループ)にはその他の診療科が関わってきて、例えば心臓血管外科とか、脳神経外科、形成外科、集中治療科、循環器内科、呼吸器内科などこういったのも含めて、広い意味での救急科(救急グループ)となっています。

毎朝カンファレンスを行っていて、前日こういう症例が来たとか、こういう方が入院したとか、そういった症例を振り返るのですが、このカンファレンスにはいわゆる広い意味の救急科(救急グループ)のスタッフが来て、色々なお話を専門の先生にもしていただきながらカンファレンスを行います。色々な専門領域の先生の話が聞けるというのは、当院のメリットかなと思います。あとは、心理的安全性の確保については意識しているので、発言しにくいというような空気はないと思います。

女性医師の働きやすさに関してはいかがでしょうか。

かなり働きやすいと思います。自分が入職した10年前に女性医師はいませんでしたが、今はかなり増えていまして、救急科の中にも3名います。

整形外科や呼吸器内科にも女性医師が増えていて、自然と女性医師が働きやすい環境になっていますね。すごく楽しそうに仕事しているのではないかと思います。女性の先生が増えることによって、子育てのために時短勤務や週3~4日勤務などをされている先生も増えたので、病院全体の中で多様な働き方・柔軟な働き方がしやすくなってきているなと思います。

あと救急科は特に、働き方改革が始まってから日勤夜勤の2交代制に切り替えて、なおかつ病棟管理は主治医制からチーム制に切り替えました。勤務時間外に病院にいなくても他の人が必ずカバーをしてくれるような体制になっています。そのため、男女問わずお子さんを持っていらっしゃる先生も日勤夜勤の交代で勤務しながら、家庭の方もサポートするという体制はすごくやりやすいのではないかなと思います。
男女問わずその人に合わせて柔軟な働き方というのが現状できているのではないかなと思います。

お休みの日は何をして過ごされていますか。

畑で野菜を作ることをずっとやっていて、今年で4年目です。
鹿児島市から畑が無料で借りることができるので、夏野菜や冬野菜を育てていますが、冬野菜は作るのが難しいです。今畑は2面あり、今は玉ねぎを植えるところです。毎年、なす・きゅうり・トマト・ピーマン・サツマイモなどを作っています。家でも食べられないぐらい作りすぎちゃうことが多いです。(笑)

あとは同じ職場に畑をしているスタッフさんがいるので、たまに畑見てもらったり、苗をもらったりと交流をしています。普通はスーパーとかホームセンターとかで苗を買うのが主流だと思いますが、私はもらった苗を植えて育てています。

畑以外には筋トレにはまっています。筋トレを始めて丸々2年になりますが、今年は減量しながらボディーメイクの大会も出場しました。来年もまた大会出場を目指して頑張ろうかなと思っているので、週3くらいで鍛えていきたいです。

倉田先生が思う救急科の魅力とはなんですか。

専門研修1年目と、医師になってから10年~15年経った時に考える救急医とでは、自分の思う救急医のあり方ってやっぱり変わっていくと思います。自分は専門研修1年目の時は、俺が全部救ってやるぐらいの気持ちで、日本最強の救急医になろうと思っていました。しかし、救命できなかったことを経験する中で、内視鏡ができないと駄目だなと思い内視鏡を始めてみたり、手術が出来なかったから、あの人を救えなかったなと思い手術を始めてみたりしました。救急医として魅力ある背中やかっこいいところを見せたいのですが、自分が進んできた救急の道を考えたら、自分が救えなかった患者様のこととか色々なことを考えながら、足りない部分を足していったところがあります。理想と現実を見ながら自分でできることをどんどん突き詰めていった結果、救急医として成長していくのではないかと思うので、救急医としての成長を自分で感じていってもらえるといいかなと思います。

私自身が成長を感じたエピソードですが、自分が初期研修に行った福岡徳洲会病院の救急のセンター長から、自分が東京大学に後期研修に行くときに、「お前が救急をしていく中で、自分じゃないと救えなかった命が一例だけあればもう十分だ。」って言われたことがあります。大体が他の救急医でも、代わりがきくというか、そこに救急医がいれば自分じゃないといけなかったってことはなかなかないと思います。ですが鹿児島に来てから、自分じゃないとあのとき救えなかったのではないかという一例を経験することができました。数年前に先生にお会いしたときにそのお話をしたところ、成長したなみたいな話になったのですが、逆に自分じゃなくてもっと立派な救急医だったら救えたのではないかという命の方が圧倒的に多かったという話をしました。そしたら先生がすごく認めてくれて、「お前も一人前になったな」みたいな感じでおっしゃってくださったときは自身の成長を感じました。

そういう奥深さというか、もちろんいいことばっかりじゃないので、それも含めて成長していくような救急医としての人生を楽しんでもらえればいいなと思っています。

専攻医研修の病院を選ぶ初期研修医にメッセージをお願いします。

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