2020-09-30
旭川赤十字病院
全国の赤十字病院の中から、北海道の旭川赤十字病院にお伺いしました。研修のプログラム、1日のスケジュールなど、現場の声が聞けるインタビューです。
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長谷部 千登美先生プロフィール
- 1980年
- 旭川医科大学 卒業
- 1980年
- 旭川医科大学第三内科 入局
- 1980年
- 旭川医科大学病院 研修医
- 1981年
- 旭川厚生病院 勤務
- 1982年
- 旭川医科大学第三内科 勤務
- 1990年
- ハーバード大学マサチューセッツ総合病院 留学
- 1995年
- 旭川医科大学第三内科 助手就任
- 1997年
- 慶友会吉田病院 肝臓病センター所長着任
- 2001年
- 慶友会吉田病院 副院長就任
- 2010年
- 旭川赤十字病院 消化器内科部長着任
- 2018年
- 旭川赤十字病院 副院長就任
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加盟学会・専門分野
- 日本癌学会
- 日本癌治療学会
- 日本老年病学会
- 日本消化器癌検診学会
- 日本老年消化器病学会
役員等
- 日本内科学会総合内科専門医・評議員
- 日本肝臓学会専門医・指導医・評議員選出委員会委員
- 日本肝臓学会東部会評議員
- 日本消化器病学会専門医・指導医・評議員・キャリア支援委員会委員・北海道支部女性医師の会委員長
- 日本消化器内視鏡学会専門医・指導医・評議員
- 旭川医科大学臨床指導教授
- 日本高齢消化器病学会理事
現在までの長谷部先生
一生続けられて、人の役に立つ仕事がしたかった
高校生の頃、一生続けられ人の役に立つ仕事をしたいと漠然と考えていたことと、生物的なことが好きだったこともあって、医学部を目指しました。
大学卒業後入局した旭川医科大学第三内科は、消化器、血液に加え、当時は糖尿病なども扱っていました。私は内科を専門にしたいとは思っていたのですが、消化器系は内視鏡のように、いわゆる手に技術をつけられること、全身を診られることに意義を感じて選びました。
当時は今のような臨床研修のシステムがなかったので、2年目の旭川厚生病院では内科全般を学びました。もちろん内視鏡もトレーニングしましたし、甲状腺なども含めて、広く研修させていただきました。
肝臓の興味深さに惹かれ
消化器内科医として、内視鏡を専門にするよりも肝臓病の方が面白くなったんです。
肝臓を勉強していきたいと思ったのは割と早くて、医師になって1年目のときです。最初に回ったのが肝臓のグループで、色々な症例に出会ったことで、肝臓の分野が面白いと感じました。
その後、胃や腸も勉強したのですが、最終的に肝臓が一番興味深いと思いました。
大学の同級生で、循環器内科の医師である夫がハーバード大学に行くことになった時は、アメリカに行くという経験はなかなかできないので、折角だから一緒に行きたいと思いました。
最初は渡米中は専業主婦をしようと考えていたのですが、やはりアメリカに行くのだから何かを勉強してこないといけないなと思い直しました。
そこで色々な先生方が勧めてくださったマサチューセッツ総合病院を紹介いただき、無給の研究助手として入れていただいたんです。
当時はC型肝炎に対するPCR検査がようやくラボでできるようになったところでしたので、その方法などを勉強してきました。
帰国後は、まだ学位を取っていなかったので、すぐに取りました。吉田病院に移ったのは医局人事です。
旭川市内でも比較的大きな病院で、肝臓病センターがあり、血管造影などの肝臓の検査がきちんとできるところです。
そういう設備が整っている病院で、大学病院だけでは診きれない患者さんの外来でのフォローなども行っていました。
「肝臓は任せるよ」で旭川赤十字病院へ
旭川赤十字病院に来たのは、医局の教授に勧めていただいたのがきっかけです。旭川赤十字病院は救急に力を入れていますから、救急でも消化器の患者さんが多く、消化器の先生方は大変な状況です。 私は「内視鏡には携わらなくていいから、肝臓を任せるよ」と言われたので、肝臓に特化した形で、色々な仕事をさせていただいています。
肝臓内科の面白さは「バリエーション」
もう40年も前のことになりますが、その頃の胃腸系の主な仕事はがんを見つけて、それを切るというものでした。
しかし、肝臓病の場合は病気を見つけるだけでなく、血液検査や画像検査、病歴、お薬などの考えることが多くあって、バリエーションに富んでいました。代謝的なことも入ってくるので、
形態学的な消化管よりは生化学的な肝臓の方が面白かったですね。
3年目に戻った大学病院での肝臓のグループで、当時は腹腔鏡検査で肝臓を実際に診る検査に加え、病理組織の生検などをして、病態と対比するカンファレンスを毎週必ず行っていました。
そういう病理的なことと血液データの対比ができるというのは楽しかったですね。
現在の長谷部先生
外来・若手指導・副院長・女性医師の会など病院内外で活躍中
外来
週に2回、火曜日と木曜日が外来です。外来は午前中から診ていますが、15時、16時までかかってしまいます。肝臓病は「治ったから、もう来なくていいよ」というケースが非常に少なく、
患者さんが段々と溜まっていくんです。落ち着いたあとにかかりつけ医にお願いすることもときどきはありますが、C型肝炎などでも治療終了後に「半年に一度は顔を見せてね」ということで来ていただいているので、
外来患者さんはなかなか減らないですね。
予後の悪い患者さんももちろんいらっしゃいましたが、患者さんの動きには波もありますし、病気に関しては仕方のないことです。
しかし、当院に来てからは消化器内科の同僚、中でも肝臓のグループの先生方がよくやってくださっているので、本当に助かっています。
若手指導
消化器内科の医局にいた頃は一定の年齢になると結婚や出産を控えて退職する方が増え、難しいと思っていました。今もばりばり仕事をしたいと言って、びっくりするぐらいアクティブな方もいるし、
どちらかと言えばワークよりライフが大事という方もいます。人それぞれの価値観や考え方を尊重しながら、できるだけキャリアを継続できるように進めていきたいです。
初期研修医として当院に来る先生方はほとんどが独身ですし、初期研修医レベルだと男女関係なく、元気にやってくれていますね。
部長職、副院長職に就いている女性医師も多くなりました。皆に頑張ってほしいと思っています。
副院長
いくつかの委員会をまとめたりしています。その中で大変なのが医師の働き方改革です。院長から「しっかりやってくれ」と言われて、超過勤務の削減や当直体制の工夫などをしています。 色々な医師に話を聞くと、診療科による差が大きいと実感しますね。何時間以上の時間外勤務をしないでと一律に決めたり、当直の翌日は帰宅しましょうと決めても、到底無理な科もあれば、 既にできている科もありますので、病院全体として同じように推進するのは難しいです。新型コロナウイルスの影響で進まないという実情もありますが、2024年までに何とかするという形で進めてはいます。
女性医師の会
7年ほど前に女性医師をサポートする会を立ち上げることになり、消化器の学会などでよくお会いする先生方と集まったときにお声がけをいただき、
参加させていただくことになりました。できる限り集会に出席したり、毎年2回ほど会報を作っているのですが、そこに参加したりしています。
その学会が札幌で開催されたときは私が代表世話人を務め、女性医師・研究者の会を開きました。特に若手の女性医師に頑張っていただけるよう、
サポート体制を作っていきたいです。劇的な活躍まではなかなかできませんが、継続は力なりだと思っています。
旭川市医師会に女性医師部会があり、部会員の中でときどき話題になるのが女性医師の非常勤の問題です。女性医師はどうしても当直やフルタイム勤務が難しい場合があり、いわゆる育短制度を使いますが、
そのときに非常勤勤務扱いになってしまうんですね。非常勤だと保険などの面で条件が悪くなるので、審査などの一定の条件は必要でしょうが、育短制度の利用者でも常勤扱いのような体制が取れないものかと、
何年か前から色々な先生方に相談しています。
色々な学会でも、女性評議員を増やそうということが言われるようになってきました。消化器病学会では北海道、東北といった各支部で女性医師の会を作り、
そこで中心になっている女性医師が地方会のときに講演会やセミナーを行っています。また、色々な病院の責任ある立場の先生方などに、女性だからといって軽く見ないでほしい、
女性医師を引き上げてほしいといったお願いも積極的にしている状況です。女性医師が一生懸命働けるよう、院長先生方にはイクボスのようになっていただきたいですね。
実現したキャリア
肝臓のことで言えば、私が当院に来たばかりのときに武蔵野赤十字病院の泉並木院長先生が「全国赤十字肝臓研究グループ」を立ち上げられ、全国の赤十字病院の先生方が集まって、肝臓病の研究をしましょうということになりました。 当時、盛んになっていたC型肝炎の治療、B型肝炎のフォロー、肝がんに対しても新しい治療が出てきていましたので、そういったものを全国の先生方と情報交換しながら続けてこられたのはとても良かったです。 泉先生は武蔵野赤十字病院の女性医師へのケアについても行き届いていて、女性医師を大事にしてくださっていますので、いつも色々と教えていただいています。
長谷部先生の1日のスケジュール
長谷部先生の診療方針
今できる限りの治療をお勧めすること
ウイルス性肝炎は治療が非常に進んでいますので、とりあえずしっかり治すということを第一にお勧めしています。 肝臓病の場合はきちんとフォローアップをし、その状況に応じて治療を加えていくことが大事なので、今できる限りの治療をお勧めすることを常に心がけています。
旭川赤十字病院とは
イクボス宣言の院長を中心に工夫中
お子さんがいるなど、長時間は勤務できないという医師に関してはその医師の働ける範囲で、半日といった勤務ができます。
しかし、診療科によっては患者さんを担当することが難しいので、そういう科ではほかの医師のサポート役になって、診断書を書くなどの仕事をしています。診療科ごとに工夫をしている形ですね。
以前、ある診療科の女性医師が子育てとの両立は厳しいとのことで退職されたことがあったんです。そのときは私もまだ副院長ではなかったので、詳しいことが分からなかったのですが、
そういう言葉を残して辞められたことはとても残念でした。何とか工夫できていたらと悔やみました。
牧野憲一院長はイクボス宣言をするといただける、日本赤十字社の三角のマークを机の上に置いてくださっています(笑)。これからの女性医師の働き方については周囲をよく見て、検討していきたいと思っています。
- 医師として影響や刺激を受けた方はいらっしゃいますか?
- 私が肝臓グループに入った当時の講師の先生で、肝臓の指導をしてくださった関谷千尋先生です。「夢を追いかけろ」というのが口癖の先生でした。
その後、関谷先生は大学を辞められ、ほかの病院に移られたのですが、色々なご縁があり、今年の4月から旭川赤十字病院の総合診療科にいらしていただき、初期研修医の指導をお手伝いくださっています。
- アメリカ生活はいかがでしたか
- 卒後5年目で長男を出産し、その後次男も生まれ、息子たちが小学1年生と保育園のときに渡米しました。子どもたちが小さかったので、仕事面では十分なことはできませんでしたが、
色々な経験ができました。やはり病院に勤務していると医療関係の人としかお友達になれないし、お友達もできないのですが、アメリカの語学学校などに行くと、
色々な企業から転勤してきている人たちとお会いできたので、日本では得られないような人間関係を築くことができました。
息子たちは社会人になって、私はもう孫もいますよ。長男は私の教育が良かったのか、医師になり、旭川医科大学病院で肝臓を専門にしています(笑)。次男は家中の皆が医師なのはつまらないと言って、企業に就職し、東京で働いています。
- これまでのキャリアの中で、一番印象に残っている出来事はありますか
- 色々な患者さんがいらっしゃいましたが、ようやく肝臓移植が始まった頃に出会った、ある患者さんのことをお話ししますね。その方は重い肝硬変で、当時は救命もなかなか難しい状態でしたが、 北海道大学病院の先生にお願いをして、肝臓移植で何とか元気になられました。当時は生体肝移植ができず、脳死肝移植でしたが、北海道での第1例が私が送った患者さんだったんです。第1例ということで、 患者さんにはプレッシャーかと思いきや、その患者さんは割とあっけらかんとしていました。北大の先生から「臓器が出たから、すぐに札幌に来て」と電話をいただいたんですが、その患者さんは「札幌に行く電車賃がない」と言い出したんです。 それで私が2万円を貸して、札幌に行っていただいたという笑い話のような思い出でがあります(笑)。
- ワーク・ライフ・バランスをどのように実現していらっしゃいますか
- 子どもが小さい頃は家族にかなりサポートしてもらっていました。子どもたちは保育園に通っていましたが、夕方に母が迎えに行き、母の家で預かってもらっていました。
私は高校までは室蘭で過ごしていましたが、その後、父の職場が旭川に移ったので、実家が近くにあったんです。
食事なども母に頼り切りでした。アメリカでは全て自分たちでしないといけなかったので、結構大変なのだと実感しましたね。アメリカから帰国後は両親と同居していましたし、
親のサポートがあったから、続けてこられました。吉田病院に移って以降はワーク・ライフ・バランスを考えず、したいことをずっとしてきました(笑)。
最近の若い先生方で親御さんが近くにおられない方は本当に大変だろうと思います。ただ、昔はなかった育児サポートシステムが揃ってきていますし、自治体も病児保育などを整備してきているのは良いことです。
- 趣味など、プライベートの楽しみについて、お聞かせください
- 昔からピアノが好きで、高校に入るまでは音楽大学に行くことしか考えていませんでした。それが無理だと分かって、進路を考えたということもあります。 大学時代も夫と一緒だったのは音楽サークルで、ギターやキーボード、ベース、ドラムなどでフォークソングを演奏していました。 夫はギターを少しぐらいです。私はピアノをずっと続けていて、今は年に2回ぐらい当院のロビーでコンサートを開かせていただいています。コンサートをすると言われないと練習しないので、今は怠けています(笑)。
- これまでのキャリアを振り返られて、いかがですか。
- 育児をしている間はしたいことがあっても、自分の時間がなかなか取れず、難しいことがありました。 でも、夫や両親にも世話になって、指導医の先生方にも色々なサポートをしていただきながら、何とか仕事を続けてこられたかなと思っています。辞めないで、少しずつでも仕事を続けてきて良かったです。
- 座右の銘はありますか
- 「心に太陽を」でしょうか。なるべく明るくやっていきたいと思っています。
医学生・若手女子医師にメッセージ
病院アピール
赤十字の基本理念に基づき、
個人の尊厳および権利を尊重し、質の高い医療を提供します。
概要
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名称 旭川赤十字病院 所在地 〒070-8530
北海道旭川市曙1条1丁目1番1号電話番号 0166-22-8111(代) 開設年月 大正4年10月 院長 牧野 憲一 休診日 土曜日、日曜日
国民の祝日、5月1日
年末年始(12月29日~1月3日)病床数 520床
(一般病床480床 精神病床40床)
診療体制
診療科目
内科、糖尿病・内分泌内科、血液・腫瘍内科、腎臓内科、循環器内科、消化器内科、呼吸器内科、脳神経内科、精神科(休診中)、小児科、外科、消化器外科、整形外科、形成外科、脳神経外科、心臓血管外科、呼吸器外科、泌尿器科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、麻酔科、歯科口腔外科、救急科、放射線科、リハビリテーション科、病理診断科、皮膚科
診療機能
保険医療機関(健康保険法・船員保険法・国家公務員等共済組合法・地方公務員等共済組合法・老人保健法)、国民健康保険療養取扱機関、生活保護法指定病院、労災保険法指定病院、更正医療指定病院、育成医療指定病院、養育医療指定病院、結核予防法指定病院、原爆被爆者医療指定病院、母体保護法指定病院、救急病院、指定老人訪問看護事業、指定訪問看護事業 『旭川赤十字訪問看護ステーション』
施設認定
- 日本内科学会認定教育関連病院
- 日本血液学会認定血液研修施設
- 日本糖尿病学会認定教育施設
- 日本腎臓学会研修施設
- 日本透析医学会認定医制度認定施設
- 日本循環器学会認定循環器専門医研修施設
- 日本肝臓学会認定施設
- 日本消化器学会認定施設
- 日本消化器内視鏡学会専門医制度指導施設
- 呼吸器外科専門医 基幹施設 北海道大学病院 関連認定施設
- 日本神経学会教育関連施設
- 日本小児科学会認定医制度研修施設
- 日本外科学会外科専門医制度修練施設
- 日本消化器外科学会専門医制度認定施設
- 日本胸部外科学会認定 指定施設 北海道大学病院 関連施設
- マンモグラフィ検診施設画像認定施設
- 日本乳癌学会認定関連施設
- 日本がん治療認定医機構認定研修施設
- 日本整形外科学会専門医研修施設
- 日本熱傷学会熱傷専門医認定研修施設
- 日本脳卒中学会専門医認定研修教育病院
- 日本脳卒中学会一次脳卒中センター認定施設
- ステントグラフト実施施設≪腹部・胸部≫
- 日本泌尿器科学会専門医教育施設
- 日本周産期・新生児医学会暫定研修認定施設
- 日本眼科学会専門医制度研修認定施設
- 日本麻酔科学会麻酔科標榜研修施設認定病院
- 集中治療専門医研修施設
- 日本皮膚科学会認定専門医研修施設
- 日本口腔外科学会認定准研修施設
- 日本医学放射線学会放射線科専門医修練機関
- 日本インターベンショナルラジオロジー学会専門医修練認定施設
- 精度保証施設認証制度
- 日本医療機能評価機構認定病院
- 医療安全全国共同行動”いのちをまもるパートナーズ”参加病院
- 旭川医科大学教育協力病院
- 日本航空医療学会指定施設