医師を目指したきっかけから、お聞かせください。
村松具体的なエピソードはないんです。母が常日頃「医師になってくれたらいいなあ」と言っていたので、そのまま医師になったという感じです。
荒木私も特に親戚に医師がいたというわけではないです。小さい頃に小児喘息があり、それで病院に行くことが多くて、そのときに病院の先生方を見て、かっこいいなと思ったのがきっかけです。そして、そのまま医学部を目指しました。
村松先生は大学卒業後は昭和大学第一内科に入局されたのですね。
村松これもあまり積極的な入局理由はありません(笑)。その頃の第一内科は呼吸器内科、糖尿病・内分泌内科、リウマチ・膠原病内科という3つの科が合わさった医局で、入局したときは専門を特に決めておらず、膠原病もしたいなという思いがある程度でした。
同期は10人ほどいたのですが、あとから専門を決めるときに、誰一人として膠原病をする人がいなくて、教授から「どうだ」と打診を受けたんです。私はそれほど嫌ではなかったので、そのままリウマチや膠原病を専門にするようになりました。
リウマチ・膠原病内科には上級医に個性的な方々が揃っていて、インパクトのある楽しい先生方ばかりでしたので、そういう先生方に色々なことを楽しく教えていただきました。
荒木先生はなぜ静岡赤十字病院で初期研修をしようと思われたのですか。
荒木静岡赤十字病院は慶應義塾大学の関連病院なので、先輩方の中にも静岡赤十字病院で研修した人が多くいらっしゃり、とても良かったという話を伺っていました。それで6年生の4月に初めて見学に来たんです。
総合内科と救急科を見学させていただいたのですが、先生方が色々なことを教えてくださって、教育的な雰囲気がありました。コメディカルの方々も優しくて、院内の雰囲気も良かったので、ここで働きたいと思いました。
実際に研修が始まって、イメージ通りですか。
荒木4月、5月は電子カルテの使い方などの基本的なところが全くできなかったので、そういったことに慣れるために精一杯でした。最近になって、日々の業務にようやく慣れてきて、自分で気になったことを調べる時間もできてきたという状況です。
村松先生が静岡赤十字病院に来られた経緯をお聞かせください。
村松私は膠原病が専門なのですが、膠原病は全身の臓器にまたがるものなので、膠原病内科単独では検査や治療ができないことがあります。そういうことを考えると、呼吸器内科、消化器内科、循環器内科、神経内科などに専門医が揃っている当院に勤務したいと思いました。