医師を目指したきっかけから、お聞かせください。
豊田高校生の頃は化学に興味があり、薬の勉強をしたいなと思っていたんです。それで色々な本を読んでいるうちに、人体や病気のことを学びたいと考えるようになり、高校2年生のときに医学部に行こうと決めました。
大学卒業後に総合診療部に入局しようと思われたのはどうしてですか。
豊田私が卒業した頃は今のような初期研修制度がなく、卒業後はどこかの医局に入局する時代でした。当時は縦割りの大学医局の見直しが注目されていた頃で、色々な大学に総合診療部ができ始め、熊本大学にも新設されました。私は大学生の頃は皮膚科医になりたかったんです。皮膚科の患者さんは年齢層が幅広いこと、怪我から内臓疾患まで、様々な疾患が入り混じっていることに興味があったんですね。それで皮膚科医になる前に2年間は内科をきちんと勉強した方がいいのではないかと思いましたが、当時の熊本にはローテート研修をさせてくれるところが熊本大学の総合診療部しかなかったこともあり、その総合診療部に1期生として入局しました。
大学卒業後はどのような研修をされたのですか。
豊田最初の6カ月を熊本大学医学部附属病院、次の15カ月を当時の国立熊本病院、最後の3カ月を沖縄県立中部病院で研修しました。複数の病院で多くの疾患を診られたことがとても良かったです。自分一人でできることは限られていましたが、研修しているうちに、さらに深く勉強したいと思うようになりました。そして、いつの間にか皮膚科から内科に希望が変わり、内科から腎臓内科というふうに変わっていきました。
そこからずっと熊本赤十字病院にいらっしゃるのですね。
豊田医局からも戻ってこいとは言われないので、当院にいます(笑)。医局自体も私がいた頃とは形態や位置づけが変わってきていますし、大学での仕事よりは当院での仕事の方が私のスタンスに近いこともあり、当院での勤務を続けてきました。
亀田総合病院に国内留学をされたのはどうしてですか。
豊田感染症を学ぶためです。私は卒後3年目に当院に来たのですが、腎臓内科を専門にするまでそこから3、4年かかっているんです。当院には色々な病気を抱えた患者さんがいらっしゃるので、腎臓内科を専門にすると決めるまではいわゆる総合内科医としての仕事をしていました。その中で上司から「感染症をしっかり勉強してこい」と言われたので、亀田総合病院に行きました。亀田総合病院で印象に残っているのは先生方が教育的だったことです。3カ月という短期間でしたが、感染症だけに集中して勉強できたのが良かったです。周囲の医師の能力ややる気の高さにも刺激を受けました。
名古屋第二赤十字病院では移植内分泌を学ばれたのですか。
豊田総合内科医を5年近くやってきて、サブスペシャリティを腎臓内科に絞ろうかと考えていた矢先に亀田総合病院を勧めてくれた上司から「腎移植を勉強してこい」と推薦していただいたんです。腎移植は腎臓内科でも特殊な分野なので、私が手を出せるところではないのではと考えていましたが、熊本赤十字病院でも移植を手がけていたんです。少ない人数で行っていたので、次の移植まで1年待ちという患者さんもいらっしゃり、現実的な必要性に迫られていたという事情が上司にもあったのかもしれません。私も「行きます」と言って、行ってきました。
腎臓内科に変わられたのはどうしてですか。
豊田初期研修の終わりの頃から腎臓内科が面白いと感じていたんです。私は救急よりもどちらかと言うと患者さんと長く付き合っていく慢性疾患に興味がありました。その中で、糖尿病や腎臓疾患を扱う診療科がいいなと思って、腎臓内科を選びました。