カンファレンスでの南先生
医師を目指したきっかけから、お聞かせください。
南一生かけてできる、やりがいのある仕事がしたいと思って医師を目指しました。家族や親戚には医師がいなかったのですが、小さい頃から医療系のドラマをよく見ていて興味を持ちました。
山下小学生の時、手塚治虫さんのブラックジャックを毎日読んでいました。手術と手術室が好きなのはその影響かもしれません。「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね」という言葉がすごく印象的で、医者を志すきっかけになりました。
初期研修を振り返って、いかがですか。
南2年の研修期間のうち、約1年間麻酔科を選択しました。救急医や麻酔科医を志望する同期が何人もいて、いつも誰かと一緒にローテートしていたので、和気あいあいとして楽しかったです。若手の教育に熱心な上級医ばかりで、恵まれた環境でした。
山下3次救急病院だったので、外傷系の緊急手術が非常に多かったです。できないことばかりで、できることを見つけて動くのに必死でした。多くの診療科が多発外傷患者さんの救命に携わり、診療科間、他職種間のコミュニケーションの重要性を学んだ2年間でした。
先生方が専門の科目を選ばれた理由はどのようなものですか。
南救急外来やICUで活躍する麻酔科の先生の姿をみて、こんな風になりたいと思ったのが一番の理由です。もし何らかの理由で働き方に悩む時期があったとしても、麻酔を専門にしていれば、将来仕事先に困ることはないだろうとも思いました。
山下患者さんの頭元に立ち、手術全体を見渡して、刻一刻と変化する患者さんの状態に対応していく麻酔科の仕事は、自分の性格に合ってるなと思い決めました。
麻酔中の山下先生
後期研修を振り返って、いかがですか。
南初めの頃は、麻酔・術前・術後診の繰り返しでした。手技の上達が遅かったので、落ち込む日が多かったです。ICU当直ではどんな患者さんが運ばれてくるんだろう、という不安が毎回ありました。麻酔標榜医を取った頃に妊娠・出産を経験し、体力的・時間的にそれまでこなせていた仕事もできなくなりました。全然活躍できなかった後期研修時代でしたが、ちゃんと一人前にならなきゃという思いが、産後も第一線で働き続ける原動力になりました。
山下後期研修中に2度の妊娠、出産を経験しました。当時麻酔科管理のICUが立ち上がったタイミングで忙しく、2人目は切迫早産で入院することになり、私も不完全燃焼の研修期間でした。ただ、出産のタイミングに正解はなく、初期後期研修中は早い、とか専門医取得後だと遅い、とかあまり悩みすぎる必要はないと思います。
病院の特徴はどのようなものですか。
南播磨姫路医療圏の中核病院として120年の歴史があり、地域の皆さんからの信頼も厚い病院です。二次救急医療機関として18診療科体制で救急患者の受け入れを行い、災害拠点病院、がん診療拠点病院、総合周産期母子医療センターとさまざまな役割を果たしています。
初期研修での人気の秘密はどのようなものですか。
山下必須診療科以外の診療科が多く、研修医自身がプログラムを編成できます。高度医療、急性期医療、救急医療が集中し、専門性の高い症例が多く集まります。研修医専用棟があり、スキルラボ室が完備されています。