松田先生と花木先生
医師を目指したきっかけをお聞かせください。
松田手に技術を持っていたいということと、人間と関わり、人の役に立つ仕事がしたいということで選びました。技術を持っていれば、日本以外の場所であっても、役に立つのではという漠然とした気持ちから医師を目指し始めました。
花木私も松田先生と似ています。資格が欲しい、手に職をつけたいというのがまずありました。高校では理系のクラスにいたこともあり、女性が資格を持って働ける仕事は何かと考えたら医師だと思い、医学部に進学しました。
病院の特徴はどのようなものでしょうか。
松田都会にある病院なので、日本の方だけでなく、日本に在住されていたり、旅行で訪れている外国の方も多く来院されます。患者さんの層が国際色豊かだなという印象を受ける病院です。
初期研修で福岡赤十字病院を選ばれたのはどうしてですか。
花木私はずっと福岡で過ごしてきたので、福岡の病院を探していました。また私は外科志望なのですが、外科の先生方から当院を勧められたこともあり、当院に決めました。
初期研修のプログラムについてはいかがですか。
花木救急を1年目で3カ月、2年目でも1カ月、必修で回らないといけません。この救急の研修期間が長いのが一番の特徴だと思います。
プログラムの自由度は高いですか。
花木選択期間が2年目に6カ月あります。
院外の研修先もありますよね。
花木地域医療と精神科の研修は院外で、どの病院に行くのかは2年目に入ってから決まります。地域医療は今津赤十字病院か嘉麻赤十字病院、精神科は今宿病院か河野病院です。
初期研修にあたって、どのような姿勢を心がけていますか。
花木私は外科に進むと決めているのですが、だからこそ初期研修では内科的な要素など、初期研修の間でしか学べないことを学びたいと思っています。限られた時間ですが、色々な先生方からなるべく多くのことを吸収できるようにと心がけています。
外科に決めたのはいつですか。
花木6年生のときです。5年生のクリクラで全部の診療科を回ったあとに外科系がいいなと思い、6年生のクリクラで外科系を多めに回ったことが決め手になりました。性格的に早めに決めたいと考えていたので、そこで外科と決めてから初期研修を始めました。
初期研修で勉強になっていることはどんなことですか。
花木全部ですね(笑)。毎日のちょっとしたことにも、教科書に書かれていないようなことがあります。そうした疑問を上の先生方に少しお尋ねするだけで、臨床的なことも含めて、多くのことを教えていただけるので、勉強になっています。
指導医の先生のご指導はいかがですか。
花木優しく、接しやすい先生方ばかりです。
コメディカルの方々とのコミュニケーションはいかがですか。
花木救急は3カ月という長い間、研修するので、特に救急の看護師さんと仲良くなりました。優しく教えてくださるだけでなく、食事に行くときに誘ってくださることもあります。私も教えていただくという姿勢を心がけているので、いい関係性で接してくださっているのかなと思います。
同期は何人いらっしゃいますか。
花木1年目はたすきがけの2人を加え、15人います。同期とは本当に仲がいいですね。研修医室もあり、1つ上の先輩方も一緒によく話しています。
国際救援を行う松田先生
ご専門を選ばれたきっかけについて、お話しください。
松田私は初期研修を熊本赤十字病院で行ったこともあり、日本赤十字社が関わっている国際救援や災害救護について知る機会がありました。そういう場所に派遣されたときに自分のスキルを活かせるのは外科系だと思い、外科を選びました。胸腹部外科は対処する臓器の範囲が広く、全身管理が重要で、特に消化器外科は病変の切除のみでなく再建する手術が多いことにも惹かれました。
国際救援を始められたきっかけはどのようなものでしたか。
松田医師となってからは医師の少ないところで働きたいという思いもありましたし、日赤病院にいると情報が入ってくることが大きかったです。同じ職場で働く先輩医師や看護師が実際に派遣され活動する姿が身近にありました。実際の派遣につながったきっかけは後期研修医の頃、バングラデシュで開催された下痢疾患に関するセミナーに参加するチャンスがあったことです。
国際救援の現場はいかがでしたか。
松田日本にいると、若手医師が相談する窓口は身近にあり、特に外科はチーム医療ですので、安心感のある場所で学びながら働けます。しかし、ひとたび医師の少ない海外の現場にぽつんと出ていくと、現地の医療者から相談を受けることが頻繁にあります。持てる全ての知識や経験をもっても応えられない場合は、教科書を読んで調べたり、先輩にメールで相談したりして解決していました。私が「その病気のことは知らない」「ここではできない」と言ってしまうと、失われる命があるため、リスクはあれどそこで治療するしかないのかギリギリの判断を迫られることがあり、その意味では鍛えられましたし、貴重な体験をしました。
国内の災害時には国内救護にも携わられたのですね。
松田東日本大震災のときは足利赤十字病院に勤務しており、被災地が身近な場所でしたので、すぐに救護班が組まれ、各班が代わるがわる現地に赴きました。熊本地震では熊本赤十字病院の救命救急センターの診療サポートにあたりました。熊本赤十字病院は地域の救急を担っている病院の一つですので、毎日多くの方が来院され、混乱している状況の中で救護を行いました。
後期研修終了後に足利赤十字病院に勤務されたのはどうしてですか。
松田私は医局に属していないので、働く病院は自身で探す必要があります。外科の仕事の主となる手術、処置の手技というのは必ずしも一通りというわけではなく、患者の病態や状況に応じて最も適切な方法を選択する必要があります。一つの施設でのやり方だけでなく、様々な施設で行われる方法、技術を吸収していきなさい、と恩師の教えがあったことから、“他の流派”を学べる施設を求め、いろいろな病院に見学にいきました。中でも足利赤十字病院の外科部長からは多くを学びたいと感じ、足利という環境も素敵だったことから、就職を希望しました。