全国で活躍する女性医師

2023-03-31

熊本赤十字病院

全国の赤十字病院の中から、熊本県の熊本赤十字病院にお伺いしました。勤務内容や1日のスケジュール、家庭と仕事の両立など、女性医師ならではの声が聞けるインタビューです。

プロフィール|profile

  • 原富由香先生

    原富 由香先生

    第一救急科 副部長

    • 熊本県熊本市出身
    • 1976年

      熊本県熊本市で生まれる

    • 2000年

      自治医科大学を卒業

    •  

      熊本県健康福祉部健康福祉政策課に所属(2009年まで)
      熊本赤十字病院で研修

    • 2002年

      国民健康保険河浦町立病院(現 天草市立河浦病院)に勤務

    • 2004年

      五木村診療所(現 人吉医療センター五木村診療所)に勤務

    • 2006年

      熊本赤十字病院に勤務

    • 2007年

      球磨郡公立多良木病院に勤務

    • 2008年

      上天草市立上天草総合病院に勤務

    • 2009年

      熊本赤十字病院に勤務

    日本救急医学会救急科専門医、日本医師会認定産業医、AHA BLSインストラクター、AHA ACLSインストラクター、ICLSディレクター、JPTECインストラクターなど。

  • 澤村陽子先生

    澤村 陽子先生

    救急科

    • 福岡県北九州市出身
    • 1987年

      福岡県北九州市で生まれる

    • 2012年

      大分大学を卒業

    •  

      熊本大学医学部附属病院、熊本赤十字病院で初期研修

    • 2014年

      熊本赤十字病院で後期研修

    • 2017年

      熊本赤十字病院に勤務

    日本救急医学会救急科専門医、AHA PALSインストラクターなど。

目次|contents

医師を目指したきっかけと研修病院選び・専門選び

ドクターヘリと原富先生

ドクターヘリと原富先生

医師を目指したきっかけをお聞かせください。

原富私は医師を目指したことが2回あります。1回目は父が胃がんで他界したときです。ただ当時は小学2年生だったので、悔しさみたいな気持ちばかりがあり、長く続いた動機ではありませんでした。小さいときは色々なものが見えていないし、ほかにしたいこととして、ものづくりも好きだったので、そういった分野への憧れもありましたね。2回目は高校生のときのボランティア活動です。そこで行った施設で、世代間ギャップからコミュニティが成立しておらず、ばらばらに住んでいる方々を見たときに、何か介入できることがあるのではないかと思いました。どの世帯でも、何に困っていてもお手伝いができる仕事はと考えたときに医師だと発言力があるのではと気づきました。そこからは、どんな人がどんな状態で来ても、困っている人がいたら何かしてあげられる人になりたいという気持ちで動いています。そして、それが一番実践できるのが熊本赤十字病院の救急科なのかなと今に繋がっています。

澤村父が転勤族だったこともあり、子どもの頃は2年おきぐらいに日本全国を引っ越ししていました。大人になってもそういう生活をするものだと勝手に思い込んでいたこともあり、女性がどこでも働き続けるには資格がないといけないという気持ちが大きく、資格の必要な仕事ということで、医師を目指しました。もう一つの動機は子どもが好きだったので、小児と接する仕事に就きたいというものです。さらに、私にはクリエイティブな仕事は向いていないと思っていたこともあります。医師になってみると、クリエイティビティが求められる仕事であると分かりましたが、以前の私は、医師の仕事はもともと完成している人間の身体の中で減ってしまったこと、困っていることをできるだけ引き戻すものであって、そこにはクリエイティビティは必要ないと誤解していました(笑)。

病院の特徴はどのようなものでしょうか。

原富国内外を問わず、災害対応に力を入れており、救援活動に熱心な病院である一方、急性期医療やがん治療にも取り組んでいます。

澤村職員としては働きやすい病院です。特に病院の食堂はとても美味しく、朝昼晩の3食を食べても1000円未満というコスパの良さも魅力です(笑)。

初期研修で熊本赤十字病院を選ばれたのはどうしてですか。

原富私は自治医科大学出身なので、初期研修は熊本赤十字病院で行うことが指定されていました。

澤村私は熊本大学医学部附属病院の初期研修プログラムに乗っており、1年目を大学病院、2年目を熊本赤十字病院で研修しました。

原富先生、澤村先生と救急科の皆様

原富先生、澤村先生と救急科の皆様

初期研修で熊本赤十字病院を選ばれたのはどうしてですか。

原富私はずっと一貫して救急なんです。医学部に入ったときから決めていて、学生時代のゼミナールも救急でした。初期研修を2年間、当院で行って、その間もビジョンが変わりませんでしたね。当院で初期研修をしたのは指定されていたからという理由ですが、自分がしたいことができるのが当院のようなタイプの救急なんです。むしろ指定されて当院に来たけれど、したいことがここにあった、一番近いところにあったというラッキーな感じです。ただ、自治医大の出身なので、地域に行かなくてはならず、その間は救急からは離れましたが、何が来ても診るという点で、地域での診療は当院のER型救急と似ています。地域では救命救急センターではできない経験を積むことができました。地域でしていることは救急でしていたことの延長ですし、フィールドが変わった、救急の経験が途切れたという思いもなかったです。

澤村学生のときから救急志望だったんですね。

原富自治医大には1年生のときから自由選択できるゼミナールがあって、一覧表の中から胸部外科や産婦人科などを選べるんです。毎年違うゼミに行ってもいいのですが、私はずっと救急を選んでいました。自治医大出身者は僻地に行くことが分かっていましたし、はっきりしたビジョンがあったというよりも興味があったという感じですね。ゼミでは心肺蘇生のときに使うデバイスなどの実験や研究をしていました。

澤村原富先生らしいですね。原富先生は本当に救急が好きだし、救急が天職なので、原富先生がそうやってできあがっていったんだと思いながら、聞いていました(笑)。原富先生は地域医療の経験も積まれているので、どこででも働ける人です。当院でハードな勤務をしなくても働き口は山ほどあるのに、プライベートの調整をしながら当院で働いているということは本当に救急の仕事がお好きなんですね。

原富先生も好きでしょう。好きでないとできない仕事だよね。

澤村それはそうですね。私が救急を選んだのは割とそのままで、医学部に進んだきっかけと重なります。学生時代は小児科医を目指していたので、初期研修2年目のたすきがけの病院を熊本赤十字病院にしたのはPICUがあり、小児科医が大勢いるところで研修したかったからです。そんな中で救急を選んだきっかけとなった初期研修医時代の症例があります。まだ0カ月の心筋炎の赤ちゃんをドクターカーで迎えに行くときに同乗させてもらったのですが、どんな具合の悪い子が来るのかというイメージも持たず、ただ乗っていました。その子を診ると、呼吸不全で具合がとても悪いことは分かったのですが、それ以上のこと、例えばどういう所見があるから呼吸が悪いのか、ショックがあるのか、それに対して、どう介入すべきかが全く分かりませんでした。そのときに、このまま専門の科に進んだらまずいことになると実感したんです。熊本大学の小児科に入局した場合、医局人事で色々な地域に行くので、小児科医でも成人を診る機会があります。私に出会ったせいで、亡くなってしまったという患者さんを生まないように、基礎的な初期対応を学ぼう、ジェネラルがしっかりできるようになったときに専門の科に進もうと思い、救急科での後期研修を選びました。そして後期研修をしているうちに高齢者医療の面白さが分かってきました。患者さんの背景を知ることで、そのドラマに心を打たれたりすることが多いんです。もちろん今も小児が大好きで、小児も成人もこれぐらい診られるところとなると当院の救急から離れられなくなって、今もここにいます。

勤務中の澤村先生

勤務中の澤村先生

原富私が初期研修をした頃とは時代が違うので、初期研修医の人生観や価値観も違います。トレーニングを教えていく際には研修医の背景や個人差を大事にして、体調やメンタルにも配慮しながら伝えていった方が知識やスキルがより定着しやすいので、研修医に適度な負荷がかかる形で研修させたいと思っています。私たちは頭ごなしに注意されていた世代ですが、私が症例数やできている、できていないなどを伝えるときにはそういうことに気を配りながら、「救急を回って良かった」「救急科の先生たちと一緒に働けて充実していた」と思ってもらえるようにしているつもりです。

澤村原富先生はきちんと実践されていますが、私はまだそこには及ばないですね。卒後10年目の私と今の研修医とでもギャップはあるのですが、研修医が元気に診療に打ち込んでいる姿をみると、私も刺激されますし、多くの経験を積ませたい、色々な経験をしてほしいと思っています。とにかく研修医からは元気をもらっています(笑)。

熊本赤十字病院でのキャリア

熊本地震の時の澤村先生

熊本地震の時の澤村先生

熊本地震の際はどのようなお仕事をされたのですか。

原富私は熊本地震が起きたときは妊娠38週で、医療の現場にはおらず、むしろ災害弱者という立場でしたので、熊本地震を医療従事者として経験していないんです。東日本大震災のときは災害医療に携わりました。

澤村熊本地震のときは卒後5年目で、後期研修の最後の年でした。4月に地震が起きましたが、休む間もなかったですし、皆が休みたいという雰囲気でもありませんでした。一応シフトが組まれていましたが、患者さんの数が多く、人員や資源が少ない状況でしたので、何かしら手伝いたい、役に立ちたいという思いで、シフトが明けても同期の皆とずっと病院にいました。私たちはまだ若手でしたが、管理職や上級医の先生方が院外での仕事が多かったので、院内での仕事を色々と任せていただき、私は赤エリアのリーダーを務めていました。各科の先生方も集まってきてくださいましたが、私たちのような若手が指揮を取っているのにもかかわらず、しっかり協力してくださり、こういう環境はなかなかないのではと実感しましたし、今も活かせている経験となっています。

東日本大震災の時の原富先生たち

東日本大震災の時の原富先生たち

原富東日本大震災のときは第1班で行きました。発災の日に熊本を出発し、石巻赤十字病院まで行ったのですが、まだ避難所が立ち上がってもいない時期だったので、避難している方々が集まっている地域は危険だということで、行くことができませんでした。ちょうど石巻赤十字病院の中で病院までたどり着けた方を診るためのスペースが立ち上がったので、私はそこでの診療を手伝いました。まだトリアージの黒タグの方々が続々と運ばれてきている状況で、病院の職員さんもご家族の安否を確認できない中で働いておられました。病院での診療は必要ないのに、そこを避難所の代わりにする方々が増えてきたときは衛生面などの対策もしました。数日間、石巻赤十字病院にいたのですが、余震もありましたし、かなりのストレスとなり、交代要員も次々に送り込まれてきたので、私は帰ることになりました。現状を確認して、初動の活動を立ち上げ終わったタイミングで帰りましたので、被災者がいるご家庭や地域に出ていったり、瓦礫の下を覗き込んだりという経験はしていません。数日間しか行っていないのに、帰ってきて10日間ぐらいは悪夢を見たり、揺れているような感じがしたりと、しばらくストレスが続きました。それを熊本赤十字病院でも分かっていたようで、同じスタッフが2回以上行くことは最初の頃はしていませんでした。第2班以降は1週間、2週間単位で計画的に班を出すようになりました。

澤村熊本地震のときは現場に行くよりも、当院にいて、当院の患者さんを守ろうという仕事をしていたので、悲惨な状況はパソコンやテレビなどの画面越しにしか見ていません。そのため、原富先生が経験されたようなストレスはありませんでした。むしろ発災当日からDMATの先生方が大勢来られ、私たちの心理面も考えつつ、協力してくださいました。私たちからすれば憧れの上級医の先生方ですので、そういう先生方の診療を目の当たりにできたり、その先生方に指示を出すという恐れ多い立場になったりと、表現は良くないのですが、救急医としての得難い経験をさせていただきました。

仕事とプライベートの両立

プライベートの原富先生ご家族

プライベートの原富先生ご家族

ワーク・ライフ・バランスをどのように心がけていらっしゃいますか。

原富今は忙しいのですが、自分の時間を確保するようにはしています。ただ年度替わりの時期は入学準備や保育所の用事などに休日を使うことが多いですね。2人が保育所にいたときは行事がばらつくことがなかったのですが、今は小学校と保育所の2つに分かれているので大変です。2人とも小学生になれば同じ行事予定になるので、余裕ができるかもしれません。今は用事を済ませたあとで、自分のことだけに使える休日は月に1日か2日ですね。

澤村私は映画を観ると、別世界に行けます(笑)。寝かしつけのときに一緒に寝ることなく、そこで生き延びることができれば、2時間ぐらいの映画を観て、整えています。そのため、いかに早く寝せるかを考えていますね。退勤してからは忙しい時間なのですが、最高なのは子どもが20時30分ぐらいに寝て、しかも自分は起きているとなると、スーパーマリオの無敵のスター状態で、3時間ぐらい過ごせます(笑)。これが週に1回できればと思っています。

原富うちの子どもは寝るのが怖いみたいで、23時ぐらいまで寝ません。その数時間は自分の時間は得られないので、洗濯したり、干したりして、私が寝るのは1時か2時になります。朝は6時に起きますので、絶対的に睡眠不足です。休みの日の朝は寝ていることもあるので、子どもに「ママ、寝坊してる」と言われています(笑)。

澤村言わせておきましょう(笑)。

原富子どもの性格や特性の問題があるので、寝る前の時間の使い方は難しいですね。

ご趣味など、プライベートについて、お聞かせください。

原富趣味はカラオケ、ドライブ、カメラです。子どもと出かけるときは一眼レフカメラを持ち歩いています。カラオケはコロナ禍になってからは出かけられないので、テレビの画面にアマゾンミュージックを流して、皆で歌っていますね。これは子どもも楽しんでくれているようです。車の中では子どもが「私の気分じゃない歌を歌わないで」「これを聴きたいから、歌わないで」と言うので、自分の好きな歌を歌うのは難しいです。

澤村一人で外出できる時間があったら、サウナに行きます。スポーツ中継を見ることも好きで、相撲や野球を見ています。相撲はおばあちゃんになっても楽しめるかなということで、見るようになりました。WBCの中継も子どもを寝かしつけながら、ドアの隙間から見ているのですが、イタリア戦のときはお風呂から上がってみたら、日本に点数が一杯入っていたので、わあっという気分になりました(笑)。

  • 原富先生の1日のスケジュール
  • 澤村先生の1日のスケジュール

熊本赤十字病院の働きやすさ・福利厚生

インタビューを受ける澤村先生と原富先生

インタビューを受ける澤村先生と原富先生

病院の働きやすさについてはいかがでしょうか。

原富働きやすいですね。他院のことはよく分からないのですが、当院の救急科では完全に交代勤務をしており、災害がない限り、勤務時間外に呼ばれることがありません。病棟は病棟の当番医が診ていて、その当番の日はもちろん呼ばれますが、私たちは育児短時間勤務制度を利用中なので、当番になることがありません。決まった時間から決まった時間まで働き、もちろん診療の関係で後ろが伸びることはありますが、勤務時間中はどれだけ忙しくても、そこを頑張れば、勤務時間外は呼ばれないので、その時間は育児や家事ができます。今は子どもがいますし、過去には母や祖母の介護もしていたのですが、そのときも勤務をしながら、勤務時間外に計画的に物事を進めることができていました。特にここ数年はそれぞれの事情をきちんとヒアリングして、その人に合う形での勤務を組むべく調整されています。自分自身の体調や家族背景などを考えたうえで仕事を続けていけるような勤務になるよう、救急科全体でうまくやり繰りしています。

澤村医局の中に職員専用の大浴場があります。24時間利用可能で、夜勤明けや疲れたときは自宅の狭いお風呂よりも大浴場に浸かってから帰れるのは有り難かったのですが、コロナ禍で中止になったので、復活を期待しています。

原富売店が24時間営業ではないので、患者さんが夜間に困られることがあります。私たちも夜勤のときに欲しいものがあっても手に入らないので、病院にあえて要望するなら売店のことでしょうか。熊本市内には救命救急センターが3つあるのですが、当院だけ24時間営業の売店がないんです。それ以外はとても充実しています。

澤村原富先生は働く女性医師の先駆者的な存在です。病児保育所がなかったとき、子どもの熱で呼ばれたら、あとの仕事にどうやって行けるのだろうという状況で働いていた先生なんです。そういった先生方が意見を出してくれて、病児保育所ができたので、私たちのような後を追う者にとっては働きやすい病院になっています。救急科に関しては男性医師も育児短時間勤務制度を利用していますし、子どもが熱を出して帰るときも「行ってらっしゃい。頑張ってね」と送り出してくれるので、本当に恵まれています。それは原富先生のような先生方が作ってくださった環境なので、感謝の気持ちで一杯です。

原富救急科に限らず、当院では女性医師だから働きやすい環境というのではなく、男性も何か起きたときに助け合って、働きやすい環境ができてきています。プライベートもそうですが、仕事でも男性、女性に関係なく、それぞれが希望していること、してみたいことを尊重してくれる病院で、それが当院のいいところだと思っています。

勤務中の澤村先生

勤務中の澤村先生

先生方は育児短時間勤務制度を使われているのですよね。

原富使っています。病棟の当番からも夜勤からも外してもらっています。終わりの時間の設定は私と澤村先生とでは違っています。私は自宅が少し遠いので、保育所への迎えの時間のリミットがあり、17時か、17時30分がベースです。ただ、夫が自宅で自営をしており、週に1日の定休日には時間に余裕があるため、その日は長い勤務を組んでもらっています。

澤村私の夫は平日は普通に働いていますので、私が保育所に迎えに行っています。そのため、16時に勤務が終わるように組んでもらっています。救急科には女性医師に限らず、男性医師でも育児短時間勤務制度を使っている人がいます。また、奥様の出産予定日に合わせて、産休を取得する男性医師もいますね。

原富この日に奥様の出産が入りそうだというときには休みが確保されていますよね。皆、「行ってらっしゃい」という感じで送り出しますし、「今度は誰先生の番だね」などと言っています(笑)。

院内保育所も完備されていますよね。

原富「オリーブ」という院内保育所があります。

病児・病後児保育所もありますね。

澤村以前はなかったのですが、数年前にできて、突発的なことに対応しやすくなりました。

寮もありますね。

澤村全7棟で、約130人が入居できます。病院から徒歩5分圏内で、1LDKと3LDKがあり、オートロック、エアコン完備です。そして家賃は2万円で、諸経費もかかりません。

直撃! Q&A

初期研修での人気の秘密は?

澤村先生
救急外来には一次から三次まで、小児から成人まで、産婦人科やマイナー外科なども含めて、幅広い症例が来ます。そのうえ、初期研修医がファーストタッチできる機会が非常に多く、上級医と一緒に診療できることも人気の秘密ではないでしょうか。私が当院で初期研修をした中で実感していることでもあります。
原富先生 私は卒後20年以上、経っていますが、私が研修した頃も研修医がファーストタッチできる症例数が多かったです。現在は研修システムや指導体制がさらに充実しているので、初期研修医の経験値も上がっていますね。

当直はいかがでしたか。

原富先生 働きだして3カ月目には内科当直に入り、それが月に2、3回ありました。当直の日でも昼間は普通に働いたあとで当直に入るのですが、当時は小児科も内科が診ていたので、夜中の3時、4時でもウォークインの外来を診て、明け方に少し寝られればいいという感じでしたね。外科当直の方が件数は少なかったのですが、内科当直がベテランの先生だと、その先生の代わりに内科も診たりするので、結局は同じ忙しさでした(笑)。外科当直も含めると、月に3回から5回の件数でした。

澤村先生 私たちの頃と全く違いますね。一人で当直に入るのは強い精神力がないと保たないですよ(笑)。私たちの頃は有り難いことに仕組みが整っていましたし、夜は寝ていました。私たちは「行きなさい」と言われても、必ず上級医がいましたし、安心感があるからこそ、多くの症例を診ることができました。そういう後ろ盾がない中で、あれだけの症例を浴びていた先生たちの世代はすごいと思います。

原富先生 救急科の夜勤の先生は必ずいましたよ。今の救急科は複数人で夜勤をしていますが、当時は一人が夜勤していました。研修医はその先生の真横で診療するので、聞こうと思えば聞けますし、とんでもなく危ないということはなかったです。ただ、今のように必ずチェックを受ける体制ではありませんでした。今は研修医が診療したら、必ず上級医がチェックし、確認をしたうえで転機を決めていますが、私はそのシステムが全くなかった世代の研修医だったので、相談相手がいると思わなければ、自分で判断し、自分だけで完結している状況でした。

メッセージ動画

病院アピール

概要

  • 病院外観
  • 名称熊本赤十字病院
    所在地〒861-8520 熊本県熊本市東区長嶺南2丁目1番1号
    電話番号096-384-2111
    開設年月昭和19年4月
    院長平田 稔彦
    休診日土曜日・日曜日・祝日
    5月1日(日本赤十字社創立記念日)、12月29日~1月3日(年末年始)
    病床数490床

診療体制

診療科目・部門

内科、腎臓内科、糖尿病内科、リウマチ科、血液・腫瘍内科、精神腫瘍科、脳神経内科、呼吸器内科、消化器内科、循環器内科、小児科、外科、呼吸器外科、乳腺内分泌外科、整形外科、脳神経外科、心臓血管外科、小児外科、形成外科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、眼科、耳鼻いんこう科、リハビリテーション科、放射線科、放射線治療科、麻酔科、歯科、歯科口腔外科、救急科、病理診断科、総合救命救急センター、重症外傷センター、脳卒中センター、脳血管治療センター、心・大血管センター、小児救命救急センター、熱傷センター、手術センター、総合鏡視下手術センター、画像診断治療センター、内視鏡センター、腎センター、外来化学療法センター、緩和ケアセンター、こども医療センター、地域周産期母子医療センター、総合血管センター、へき地医療支援センター、患者サポートセンター、移植医療支援室、広報室、医療安全推進室、教育研修推進室、感染管理室、TQM推進室、経営戦略室、薬剤部、検査部

認定・指定一覧

    • 保救命救急センター
    • 小児救命救急センター
    • 臨床研修指定病院
    • 救急告示病院
    • 災害拠点病院(基幹災害拠点病院)
    • 熊本DMAT指定病院
    • 小児救急医療拠点病院
    • 地域周産期母子医療センター
    • 地域医療支援病院
    • 熊本県ドクターヘリ基地病院
    • 腎移植施設
    • DPC対象病院
    • 地域がん診療連携拠点病院
    • 健康保険医療機関指定病院
    • 国民健康保険療養取扱指定病院
    • 結核指定医療機関(通院医療)
    • 身体障害者福祉法による更生医療指定病院
    • 児童福祉法による育成医療養育医療指定病院
    • 母体保護法による医療指定病院
    • 労働者災害補償保険法による医療指定病院
    • 生活保護指定医療機関
    • 特定疾患治療研究医療機関
    • 小児慢性特定疾患治療研究医療機関
    • 児童福祉施設等の措置医療機関
    • 原子爆弾被爆者の一般疾病指定医療機関
    • 身体障害者作業療法の施設基準承認病院
    • 身体障害者運動療法の施設基準承認病院

学会認定

    • 日本内科学会認定医制度教育病院
    • 日本小児科学会小児科専門医研修施設
    • 日本皮膚科学会認定専門医研修施設
    • 日本外科学会外科専門医制度修練施設
    • 日本整形外科学会専門医制度研修施設
    • 日本産科婦人科学会専門研修連携施設
    • 日本眼科学会専門医制度研修施設
    • 日本耳鼻咽喉科学会専門医研修施設
    • 日本泌尿器科学会泌尿器科専門医教育施設
    • 日本脳神経外科学会専門医制度関連施設
    • 日本医学放射線学会放射線科専門医総合修練機関
    • 日本麻酔科学会麻酔科認定病院
    • 日本病理学会研修登録施設
    • 日本救急医学会救急科専門医指定施設
    • 日本救急医学会指導医指定施設
    • 日本形成外科学会認定施設
    • 日本リハビリテーション医学会研修施設
    • 日本消化器病学会認定施設
    • 日本循環器学会認定循環器専門医研修施設
    • 日本呼吸器学会認定施設
    • 日本血液学会認定血液研修施設
    • 日本腎臓学会研修施設
    • 日本感染症学会専門医制度認定研修施設
    • 日本神経学会専門医制度教育施設
    • 日本消化器外科学会専門医修練施設
    • 呼吸器外科専門医合同委員会認定呼吸器外科専門医制度関連施設
    • 三学会構成心臓血管外科専門医認定機構基幹施設
    • 日本小児外科学会教育関連施設
    • 日本リウマチ学会教育施設
    • 日本周産期・新生児医学会暫定研修施設
    • 日本婦人科腫瘍学会専門医制度指定修練施設
    • 生殖医療専門医制度研修連携施設
    • 日本放射線腫瘍学会認定施設
    • 日本手外科学会研修施設
    • 日本集中治療医学会専門医研修施設集中治療部・小児集中治療室

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