ドクターヘリと原富先生
医師を目指したきっかけをお聞かせください。
原富私は医師を目指したことが2回あります。1回目は父が胃がんで他界したときです。ただ当時は小学2年生だったので、悔しさみたいな気持ちばかりがあり、長く続いた動機ではありませんでした。小さいときは色々なものが見えていないし、ほかにしたいこととして、ものづくりも好きだったので、そういった分野への憧れもありましたね。2回目は高校生のときのボランティア活動です。そこで行った施設で、世代間ギャップからコミュニティが成立しておらず、ばらばらに住んでいる方々を見たときに、何か介入できることがあるのではないかと思いました。どの世帯でも、何に困っていてもお手伝いができる仕事はと考えたときに医師だと発言力があるのではと気づきました。そこからは、どんな人がどんな状態で来ても、困っている人がいたら何かしてあげられる人になりたいという気持ちで動いています。そして、それが一番実践できるのが熊本赤十字病院の救急科なのかなと今に繋がっています。
澤村父が転勤族だったこともあり、子どもの頃は2年おきぐらいに日本全国を引っ越ししていました。大人になってもそういう生活をするものだと勝手に思い込んでいたこともあり、女性がどこでも働き続けるには資格がないといけないという気持ちが大きく、資格の必要な仕事ということで、医師を目指しました。もう一つの動機は子どもが好きだったので、小児と接する仕事に就きたいというものです。さらに、私にはクリエイティブな仕事は向いていないと思っていたこともあります。医師になってみると、クリエイティビティが求められる仕事であると分かりましたが、以前の私は、医師の仕事はもともと完成している人間の身体の中で減ってしまったこと、困っていることをできるだけ引き戻すものであって、そこにはクリエイティビティは必要ないと誤解していました(笑)。
病院の特徴はどのようなものでしょうか。
原富国内外を問わず、災害対応に力を入れており、救援活動に熱心な病院である一方、急性期医療やがん治療にも取り組んでいます。
澤村職員としては働きやすい病院です。特に病院の食堂はとても美味しく、朝昼晩の3食を食べても1000円未満というコスパの良さも魅力です(笑)。
初期研修で熊本赤十字病院を選ばれたのはどうしてですか。
原富私は自治医科大学出身なので、初期研修は熊本赤十字病院で行うことが指定されていました。
澤村私は熊本大学医学部附属病院の初期研修プログラムに乗っており、1年目を大学病院、2年目を熊本赤十字病院で研修しました。
原富先生、澤村先生と救急科の皆様
初期研修で熊本赤十字病院を選ばれたのはどうしてですか。
原富私はずっと一貫して救急なんです。医学部に入ったときから決めていて、学生時代のゼミナールも救急でした。初期研修を2年間、当院で行って、その間もビジョンが変わりませんでしたね。当院で初期研修をしたのは指定されていたからという理由ですが、自分がしたいことができるのが当院のようなタイプの救急なんです。むしろ指定されて当院に来たけれど、したいことがここにあった、一番近いところにあったというラッキーな感じです。ただ、自治医大の出身なので、地域に行かなくてはならず、その間は救急からは離れましたが、何が来ても診るという点で、地域での診療は当院のER型救急と似ています。地域では救命救急センターではできない経験を積むことができました。地域でしていることは救急でしていたことの延長ですし、フィールドが変わった、救急の経験が途切れたという思いもなかったです。
澤村学生のときから救急志望だったんですね。
原富自治医大には1年生のときから自由選択できるゼミナールがあって、一覧表の中から胸部外科や産婦人科などを選べるんです。毎年違うゼミに行ってもいいのですが、私はずっと救急を選んでいました。自治医大出身者は僻地に行くことが分かっていましたし、はっきりしたビジョンがあったというよりも興味があったという感じですね。ゼミでは心肺蘇生のときに使うデバイスなどの実験や研究をしていました。
澤村原富先生らしいですね。原富先生は本当に救急が好きだし、救急が天職なので、原富先生がそうやってできあがっていったんだと思いながら、聞いていました(笑)。原富先生は地域医療の経験も積まれているので、どこででも働ける人です。当院でハードな勤務をしなくても働き口は山ほどあるのに、プライベートの調整をしながら当院で働いているということは本当に救急の仕事がお好きなんですね。
原富先生も好きでしょう。好きでないとできない仕事だよね。
澤村それはそうですね。私が救急を選んだのは割とそのままで、医学部に進んだきっかけと重なります。学生時代は小児科医を目指していたので、初期研修2年目のたすきがけの病院を熊本赤十字病院にしたのはPICUがあり、小児科医が大勢いるところで研修したかったからです。そんな中で救急を選んだきっかけとなった初期研修医時代の症例があります。まだ0カ月の心筋炎の赤ちゃんをドクターカーで迎えに行くときに同乗させてもらったのですが、どんな具合の悪い子が来るのかというイメージも持たず、ただ乗っていました。その子を診ると、呼吸不全で具合がとても悪いことは分かったのですが、それ以上のこと、例えばどういう所見があるから呼吸が悪いのか、ショックがあるのか、それに対して、どう介入すべきかが全く分かりませんでした。そのときに、このまま専門の科に進んだらまずいことになると実感したんです。熊本大学の小児科に入局した場合、医局人事で色々な地域に行くので、小児科医でも成人を診る機会があります。私に出会ったせいで、亡くなってしまったという患者さんを生まないように、基礎的な初期対応を学ぼう、ジェネラルがしっかりできるようになったときに専門の科に進もうと思い、救急科での後期研修を選びました。そして後期研修をしているうちに高齢者医療の面白さが分かってきました。患者さんの背景を知ることで、そのドラマに心を打たれたりすることが多いんです。もちろん今も小児が大好きで、小児も成人もこれぐらい診られるところとなると当院の救急から離れられなくなって、今もここにいます。
勤務中の澤村先生
原富私が初期研修をした頃とは時代が違うので、初期研修医の人生観や価値観も違います。トレーニングを教えていく際には研修医の背景や個人差を大事にして、体調やメンタルにも配慮しながら伝えていった方が知識やスキルがより定着しやすいので、研修医に適度な負荷がかかる形で研修させたいと思っています。私たちは頭ごなしに注意されていた世代ですが、私が症例数やできている、できていないなどを伝えるときにはそういうことに気を配りながら、「救急を回って良かった」「救急科の先生たちと一緒に働けて充実していた」と思ってもらえるようにしているつもりです。
澤村原富先生はきちんと実践されていますが、私はまだそこには及ばないですね。卒後10年目の私と今の研修医とでもギャップはあるのですが、研修医が元気に診療に打ち込んでいる姿をみると、私も刺激されますし、多くの経験を積ませたい、色々な経験をしてほしいと思っています。とにかく研修医からは元気をもらっています(笑)。