カンファレンス中の川上先生
医師を目指したきっかけをお聞かせください。
川上家族や親戚に医師が多かったことが一つです。もう一つの理由としては、小さい頃に整形外科の先生に診てもらっていたことがあり、その主治医の先生に憧れていたことです。
病院の特徴はどのようなものでしょうか。
川上その名の通り、広島と長崎に投下された原子爆弾の被爆者の診療と健康管理を目的として開設された病院です。被爆者医療のほか、赤十字の病院として災害救護や国際活動にも力を入れていますが、地域に根づいた急性期病院であり、多くの救急車を受け入れています。2021年に新別館ができたばかりなのでとても綺麗で、先生方やスタッフの皆さんが優しく、働きやすい病院です。
初期研修は長崎大学病院のプログラムを選ばれたのですね。
川上私は長崎県出身で、大学時代は福岡で過ごしましたが、将来は長崎県で医師をしたいという希望があり、長崎大学に入局することを考えて、長崎大学病院のプログラムを選びました。やはり長崎大学の雰囲気を知りたかったということと、大学病院で専門性の高い疾患を診たいというのが理由です。また、たすきがけのプログラムにしたのは2年目を市中病院で研修することで、コモンディジーズを診ることができるからです。専門診療とコモンディジーズのバランスの取れた初期研修にしたいと思いました。
たすきがけの病院を長崎原爆病院にされたのはどうしてですか。
川上救急外来での当直では多くの救急車が来て、初期研修医がファーストタッチして、初期対応を学べることに惹かれたからです。それからコモンディジーズですね。大学はやはり専門性が高い疾患が多かったのですが、長崎原爆病院は大学とは違った症例を診られるのが良かったです。
初期研修のプログラムについてはいかがでしたか。
川上数多くの症例を経験することができて、経験値が上がりました。初期研修で学んだ初期対応についての知識は専攻医の現在でも当直のときなどに活かせています。
長崎原爆病院でのプログラムの自由度は高かったですか。
川上高かったです。予定とは別の診療科を回りたくなったことがあったのですが、直前であっても変更していただいたことがありました。
院外の研修先もありますよね。
川上私は長崎大学病院のプログラムでしたので、長崎原爆病院に来たときには既に地域医療、精神科、産婦人科、救急といった必修科の研修を終えていたんです。私は地域医療では長崎北病院に行き、地域に根づいた診療や神経内科の症例を経験しました。在宅医療に関しては大学病院での外来実習で学びました。長崎原爆病院を基幹型のプログラムにした場合は精神科、産婦人科、小児科がないので、大学病院などの院外の病院に行くことになります。また救急の研修も福岡赤十字病院か熊本赤十字病院のどちらかに2カ月、行くことになっています。地域医療は長崎原爆諫早病院か、五島市の富江病院、奈留医療センター、上五島病院に行きます。
初期研修での同期は何人でしたか。
川上同期は15人ほどいて、仲良く、楽しく研修できました。研修医室もあって、休憩中に話をしたり、輪になって昼ご飯を食べたりしていました(笑)。
初期研修を振り返って、いかがでしたか。
川上大学病院でも当院でも、とても多くの症例を経験できた2年間でした。初期研修で学んだことは今に活かせていますし、指導医の先生方をはじめ、色々な方に優しくしていただき、充実した毎日でした。