カンファレンスを行う安孫子先生
旭川赤十字病院での勤務内容をお聞かせください。
安孫子月曜日、火曜日、木曜日、金曜日は外来なので、外来中心の勤務となっています。水曜日は病棟業務のほか、他科に入院している患者さんの診察をしています。また水曜日には健診センターのカンファレンスもありますし、NSTのカンファレンスや回診も行っています。
診療方針をお聞かせください。
安孫子糖尿病患者さんはそれぞれ病態、原因、生活背景が違いますので、糖尿病治療にあたっては個人にフィットした治療を選択することが大事です。正しい評価をするのはもちろんですが、通院がきちんとできる人かどうか、サポート体制がある人かどうかといった背景や、治りたいという思いをどのぐらい持っている人なのかといったことを理解しながら、個々に合わせた治療をすることを意識しています。
旭川赤十字病院で実現したキャリアはどのようなものですか。
安孫子今年で4年目なのですが、診療部長として着任し、2年目で院長補佐となり、昨年度から副院長を務めています。着任して間もない時期に副院長になり、本当にいいのかなと思いましたが、年代的にもそういう時期だったということで受け止めています。
副院長としてのお仕事にはどのようなものがあるのですか。
安孫子副院長業務としては倫理委員会のほか、薬の採用や治験などの薬事関係を担当しています。またNSTの院内の取りまとめや推進、健診センターのセンター長、臨床検査部門の長も務めています。副院長になって、色々な職種の方々との話し合いや連携をすることが一気に増えました。
女性の管理職は多いですか。
安孫子医師は私だけですが、前任の長谷部千登美先生が参与というポジションで残ってくださり、サポートをいただいています。それから看護部長が今年から副院長に就任されたので、色々と相談しながら一緒に仕事をしています。当院は女性部長が1人、副部長が2人と、まだ少ないですね。基幹病院はやはりまだ女性の管理職が少ないのだなということを当院に来てから実感しています。
これまでの勤務で印象に残っていることはどんなことですか。
安孫子糖尿病は自己管理が大切な病気なので、患者さんに食事、運動、血糖値を計ることを勧めるのですが、それがうまくいかない患者さんもいらっしゃいます。私は若い頃、それが許せなかったんです(笑)。あるとき患者さんに「どうして分かってくれないんですか」と強く言ったところ、患者さんが「そんなことを言ってもできるわけないでしょ」と大泣きされたことがあり、私も「あなたの病気が悪くなってほしくないのよ」と泣きながら言い合いました。その患者さんは大学病院で診ていた患者さんだったのですが、私が転勤先から大学病院に戻ってきたときにまたお会いできたんです。あのとき泣かせた人だと、すぐに思い出しました。今から思うと大人げなかったですが、本気でぶつかると、その気持ちは相手に伝わるものだと分かった、印象深い症例です。そういった経験から、患者さんを叱っても良くなるわけではないということを学ばせてもらいましたし、今は患者さんを「待つ」ことができるようになりました。
初期研修医の指導にあたって、心がけていることはありますか。
安孫子初期研修医には教わるだけではなく、小さいことでいいので、「これはどうなるんだろう」「これは何なんだろう」などの色々な疑問を持って、積極的に質問してほしいです。質問がないと、こちらから質問をして、基礎的なことの確認をさせてもらっています。今の初期研修医はこういうことを質問してはいけないのではないかと遠慮しがちですが、それを見過ごしてしまうと、あとで困ったことになりかねません。私も特に内科の指導にあたっては初期研修医に疑問を持ってもらうために、「どう思いますか」と質問を投げかけることを意識しています。それから、当院は忙しい病院ではありますが、時間を見つけて、初期研修医が伝える力をつけるためのプレゼンテーションの指導にも力を入れています。
これまでのキャリアを振り返られて、いかがですか。
安孫子こんなに長く続けているとは予想していませんでした(笑)。私は順調にキャリアアップしていると言われることがよくあるのですが、決してそんなことはありません。専門医を取得したのも遅く、辞めようと思ったことも何度もあります。そのたびに周りの先生方に支えられてきましたし、夫や両親といった家族に支えてもらった時期もありました。その中で仕事を続けてこられたことに感謝しています。色々な出来事が起こりますが、仕事のキャパシティはその都度、変えることができますので、それを変えながら続けてきました。今はそうした経験を若い先生方に還元していきたいと考えています。
熊本にて、恩師の荒木令江先生と安孫子先生
医師として、影響や刺激を受けた人はいますか。
安孫子大学院時代に1カ月ほど、熊本大学の生化学教室に国内留学しました。そこで荒木令江先生にご指導いただいたのですが、その荒木先生に影響を受けました。私が医師になった頃は周囲は男性ばかりで、女性が少なかったのですが、その中で指導してくださる女性の先生に出会えたことが衝撃的でしたね。色々な実験の基本を優しく、丁寧に教えてくださり、プレゼンテーションや学会発表についての方法まで教わりました。週末には先生のお宅に泊めていただき、仕事以外のところでの息抜きの仕方やメリハリをつけることの大切さも知りました。大学院に入って、夜中の2時や3時まで実験するのが当たり前だと思っていましたが、週末には休んだり、リフレッシュするものなのだと学べました。
出産されたのはいつですか。
安孫子アメリカに留学していたときです。留学中に子どもを授かり、そこでアメリカの医療に触れたこともいい経験になりましたし、医師としてのターニングポイントになりました。日本とアメリカは医療における合理性が全く違います。例えば、悪阻があれば、日本だとすぐに病院にかかるところですが、アメリカではかかりつけのクリニックに電話したら、「まずは検査薬で検査してごらん」と言われ、それから「産婦人科に予約を取ろう」となります。それで予約をしたら、1カ月後なんです(笑)。「それでも治まらなかったらERに行きましょう」と言われたり、産科にはエコーがなく、エコー専門の病院で検査を受けます。そういう分業制にも驚きましたが、待合室にも誰もおらず、完全に予約制であることも新鮮でした。日本のように飛び込みで受診するなどはありえないことなんですね。そのかわり、ERには大勢の患者さんがいました。出産後の退院も早く、私は夜中に入院したので1日半ほどいましたが、無痛分娩ですし、通常は丸1日で退院となります。
旭川医科大学病院で二輪草センターに携わられていたのですね。
安孫子これはプロジェクトチームのときから関わらせていただいていました。子どもが小さいときに、夫が単身赴任をしていて、私は病棟医長を務めていたのですが、土曜日に病棟から呼び出しがあり、子どもを連れていったことがあったんです。それを看護部長さんが見かけられ、「困っている先生がいる」ということで、お声をかけていただきました。二輪草センターには復職支援研修、キャリア支援、子育て・介護支援、病児・病後児保育の4部門があります。二輪草センターは困ったことをどんどん発言でき、声を出せる場です。ここで「院内保育所があれば」「子どもが小学生になったら」「子どもが夏休みに入ったら」といった困ったことを皆で発言し合ったことがアイディアに変わっていきました。そういうチャンスをいただけて、それが現実になったことを見られたのは良い経験になりました。
今後のビジョンをお聞かせください。
安孫子健診を受けておらず、病気が見つかっていない糖尿病患者さんは大勢いらっしゃいますので、早期発見して、早期介入ができるように、行政とも協力しながら進めていきたいと考えています。また、アメリカのようにはいかないかもしれませんが、地域の医療機関との役割分担も効率的にしていきたいですね。かかりつけ医と専門医療機関の役割をお互いがさらに理解し合って、それぞれの利点を活かした診療ができるような体制の構築を推進していきたいです。最終的な野望(笑)としては糖尿病内科がなくなることです。糖尿病が治らない病気と言われること自体が悔しくてなりません。早く介入すれば、治すことが可能な時代になってきていますし、良いお薬もできていますので、適切なタイミングで適切な介入をしていきたいです。もちろんお薬や治療法が進化していく必要がありますが、どの医師が診ても「これさえすれば、あなたの糖尿病は治りますよ」という時代が訪れることを私が生きているうちに見られればと思いますし、若い先生方に託していきたいです。糖尿病が完全に治る病気だという夢を持っていたいですね。