楡井先生と菅沼先生
医師を目指したきっかけをお聞かせください。
菅沼祖父が医師だったことです。私が生まれたときには既に亡くなっていたのですが、医学部を目指して勉強していた親戚もいて、私も医師の仕事はいいなと思いました。何かをしたいと明確に考えたわけではなく、人と接する職業、分かりやすく人の役に立てる職業はいいなと漠然とした気持ちで目指していました。
楡井私も人のためになる仕事がしたいという、漠然とした気持ちからです。親戚や周囲に医師が多かったので、医師の姿を見る機会も多く、職業像を思い描きやすかったというのもありますね。人のためになっているということがその場で分かるのは遣り甲斐になりそうでした。
病院の特徴はどのようなものでしょうか。
菅沼1914年に開設された、歴史のある病院です。救命救急センターを有し、ドクターヘリ基地病院でもある三次救急病院となっています。内科には一通りの診療科が揃っていますし、地域がん診療連携拠点病院として、先進的ながん診療を行っています。私は2022年に着任したのですが、診療科の垣根が低く、他科に相談しやすいこと、メディカルスタッフの皆さんが非常に協力的であることも特徴だと感じています。
秋田赤十字病院を研修先に選ばれたのはどうしてですか。
菅沼私は臨床研修制度が必修化された前年の卒業なので、卒業と同時に医局に入局した世代なんです。研修先は医局の中で決められますので、上の先生から「日赤に行って」と言われ、そのまま当院に来ました(笑)。
楡井私は学生時代の病棟実習で担当させていただいた患者さんが糖尿病の患者さんだったことで、人それぞれの治療法があることに興味を持ち、学生時代から糖尿病内科を考えていたんです。それで当院に見学に来たところ、やはり糖尿病内科では幅広い方の診療をしていることが分かり、当院を志望しました。
初期研修で印象に残っていることについて、お聞かせください。
菅沼どの診療科でも指導医の先生方によく指導していただき、色々な症例を経験させていただきました。3年目に腎臓内科で透析を研修したときは糖尿病による心筋梗塞や腎不全の患者さんなどを診て、多くの患者さんと接する中で私は糖尿病の医師として、そういった合併症を予防していきたいと決意しました。
楡井同期の初期研修医と仲が良く、それぞれの診療科で学んだことを持ち寄って、勉強会のような形で学び合ったことが印象に残っています。一人では学べないことを教え合ったりできたのは大きいですね。初期研修医が色々な大学から集まってくるのは当院の特徴だと思いますが、そこが良かったです。
ご専門を選ばれたきっかけについて、お話しください。
菅沼もともと予防医学的なことに興味があり、糖尿病内科は気になっていました。当時は自由なところがあり、医局の先生方も「もし初期研修中にほかに専攻したい科を見つけたら、そちらに行ってもいいよ」と言ってくださる方ばかりでしたが、そういう中で糖尿病の患者さんを診療させていただいたときに、糖尿病内科で頑張っていきたいという覚悟が固まりました。
楡井初期研修で一通りの診療科を回った中で、学生時代からの興味が変わらなかったので、糖尿病を専門にしていきたいと思いました。
秋田赤十字病院に来られた経緯をお聞かせください。
菅沼医局人事によるものです。当院の第一代謝内科部長の後藤尚先生は私が4年目のときの直属の上司で、糖尿病のいろはを全て教えてくださった方なんです。とても尊敬している先生のお一人なので、後藤先生のもとでもう一度、働きたいという思いがあったのですが、タイミングに恵まれて、お声をかけていただき、当院に来ました。
楡井私は秋田大学の専門研修プログラムに乗っています。J-OSLER制度では専門研修1年目と初期研修の病院が同じだと、初期研修の症例を使いやすいのではないかというご配慮があり、初期研修から引き続き秋田赤十字病院にいます。
秋田赤十字病院の救急はいかがですか。
菅沼三次救急の病院で、救急車による搬送も多いです。私は糖尿病が専門ですが、糖尿病はほとんどが慢性疾患で、急性期疾患はわずかしかありません。そのため、当院で三次救急を診ることになったのはプレッシャーでしたが、皆に助けられ、勉強しながら対応しています。
当直の回数はどのぐらいですか。
菅沼月に2回か、3回です。
楡井私は月に4回ぐらいです。当院は三次救急の患者さんもいらっしゃるので、毎回、緊張しますね。初期研修のときは22時までの泊まらない救急当番だけでしたが、専攻医研修1年目からは当直もありますので、緊張しながら頑張っています。