勤務中の大城先生
病院の特徴はどのようなものでしょうか。
大城松山市の基幹病院の一つです。松山市の隣の東温市に愛媛大学医学部附属病院があり、松山市には愛媛県立中央病院がありますが、当院は松山市内では愛媛県立中央病院に次ぐ規模の病院です。松山市の救急医療は輪番制になっており、8日に1回、当番日が回ってきますが、その中で二次救急を担っています。
医師を目指したきっかけをお聞かせください。
大城聞かれると困る質問なんです(笑)。自慢できない理由です。もともと理系の科目が好きだったので、工学部にも興味があったのですが、私たちの時代は女子が工学部に進学するというケースはあまりありませんでした。それで受験戦争の波に乗って、運良く地元の大学の医学部に合格したというのが正直なところです。
ご専門を選ばれたきっかけについて、お話しください。
大城これもお恥ずかしいお話です。私は学生時代、病理学が苦手でした。病理学は読んで字の如く「病気の理屈の学問」であり、理屈が分かれば面白いのですが、理屈が解明できていないことばかりです。大学での試験はほとんどが丸暗記していく内容で、私はそれがとても苦手でした。それで留年しそうになっていたところ、5年生になる前の春休みに「2週間、病理学教室に勉強に来い」と言われ、病理学教室に行くようになったんです。そこで行われていることは授業で習っていることとは全く違っていました。病気を顕微鏡で説明できるというのは感動的でしたね。それで病理学はすごいな、面白いなと思うようになり、苦手科目が興味のある科目に変わったんです。逆に臨床には身が入らなくなりました(笑)。それから病理学教室に出入りするようになり、卒業するときには病理学を専門にすると決めていました。
大学を卒業後にすぐに病理学教室に入局されたのですね。
大城私たちの時代は臨床研修制度が必修化される前ですので、皆が卒業と同時に入局していました。私も直接、病理学教室に入局しました。そのため臨床の経験がなく、臨床への理解が浅いので、今考えれば良くなかったと思います。現在の制度であれば、少なくとも1年間は臨床を経験してから基礎医学に進む形になるので、今の方がいいですね。
入局後すぐはどのように研鑽を積まれたのですか。
大城毎日、自分で診断をして、指導医の先生に見ていただくという感じです。病理医は臨床からはイメージしにくいようですが、顕微鏡で見て診断をする毎日です。病理解剖も病態の理解に大いに役立ちました。
松山赤十字病院に勤務されたこともあったのですね。
大城愛媛大学からの医局人事で来ました。松山赤十字病院はとても忙しい病院なのに、病理医が1人しかいなかったので、派遣することになったようです。
九州大学に行かれたのはどうしてですか。
大城結婚をきっかけに九州大学の医局に入ったからです。
アメリカに留学もされたのですね。
大城留学と言っても報酬が発生しない見学生でしたが、九大の専門分野である骨軟部腫瘍を研究している先生のところに留学させていただきました。当時はp53というがん抑制遺伝子の研究がホットな時代でしたので、100例余りの軟骨肉腫について、p53遺伝子の異常を臨床病理学的に解析する研究を行いました。
松山赤十字病院に来られた経緯をお聞かせください。
大城アメリカから帰り、九大病院や九大の関連病院である北九州市立医療センターに勤務したあと、2000年に医局人事で当院に来ました。松山出身ですので、医局と利害が一致していたんです(笑)。
松山赤十字病院の救急の特徴をお聞かせください。
大城松山市では市内の14病院が協力し、輪番制で松山医療圏の二次救急医療を担っており、当院も8日に一回、当番病院として救急診療を行っています。当院では緊急入院や手術などを必要とする二次救急の患者さんを中心に診ています。平日当番日の17時10分以降の夜間や休日当番日は内科系、外科系、小児科の日直、宿直医が担当しています。当院では救急医療を円滑に行うため、2000年10月に救急部を新設しました。2022年度の救急患者さんの数は14,474人で、そのうち救急搬送数は5,067人でした。スタッフは専従医が2人おり、初期研修医も活躍しています。
当直をされることはありますか。
大城臨床には携わっていませんので、当直することはありません。病理解剖に呼ばれることはありますが、現在、夜間は行っていません。