では初期研修で救急科を目指すことになったのですね
そうです。1年目に救急科を回ったときに、救急科に進もうと決めました。
専攻医研修も引き続き徳島赤十字病院でされたのですね
徳島県内ですと徳島大学病院や徳島県立中央病院でも研修できるのですが、やはり髙田先生のもとで勉強したいということと、当院での初期研修中に他科の先生方とも関係性ができていたので、研修に集中できそうかなと考え、当院で専攻医研修をさせていただくことにしました。
専攻医研修はいかがでしたか
専攻医研修には別の病院で初期研修をした同期と一緒に入り、2人で試行錯誤しながらあっという間の時間を過ごしました。1年目には夜勤を月に6回ぐらいして、ERや病棟管理もしていました。ちょうどドクターカーも始まったばかりの時期で、上の先生方にご指導いただきながら、ドクターカーにも乗っていました。朝出勤し、目の前のことを必死にしていると気づいたら5時になっているという毎日でした。そして2年目の終わりに第1子の妊娠が分かりました。
妊娠されたことで、研修の内容は変わりましたか
妊娠中はどうしても放射線に関する業務や夜勤からは外れることになります。ドクターカーもシートベルトせずに乗り込みますので、ドクターカーからも外れました。それでERと病棟業務だけになり、私としては出遅れるというような気持ち、できることが少なくなったなという思いがありました。ただ周りの方々の支えもあり、可能な限りの業務に関わらせていただきました。
育児休業を取られましたか
上司の先生が「子育ての最初の1年間はゴールデンタイムだから、信頼できる人が子どものそばにいた方がいいよ」とおっしゃり、1年間の育児休業を取りました。そして、2年後に第2子を出産したので、また1年間の育児休業を取ったんです。それで1年半ずつのブランクができ、2023年度に院外研修なども含めて専攻医研修の認定にあたる3年分をようやく完了させていただきました。それで2024年度に専門医を受験することになっています。
専攻医研修を振り返ってみて、いかがですか
専攻医研修もあっという間に過ぎた気がしますね。初期研修のときは救急科の医師は4人だったので、限られた資源で診療するという感じだったのですが、人数が増えてくるにしたがって、重症患者さんが来たときに皆でわっと勢いよく集まり、テンションを上げて診療するようになりました。緊迫した状況ではありますが、救急医としての仕事をしているという実感を得られました。専攻医研修も非常に恵まれた環境で研修できたと思っています。
専攻医研修が終わって、徳島赤十字病院のスタッフになられたのですね
育児休業を挟みながら専攻医研修を終えたので、知らない間に後輩も増えていて、後輩に逆に教えてもらいながら仕事をさせていただいています(笑)。
仕事の内容は変わりましたか
専攻医研修からの延長で仕事をしているような感じです。ただ、後輩の指導といった業務は増えてきました。私自身が勉強に追われていた立場から、後輩への指導をしないといけないという立場へと変わってきたのだということを改めて実感しています。救急科に人が増え、盛り上がってきているので、それを維持していかなくてはいけないと思っている毎日です。
医師として、影響や刺激を受けた人はやはり髙田先生ですか
そうですね。大学などでも色々な先生方にお会いした中で、学問を教えてくださったという意味で優秀な先生方は大勢いらっしゃいましたが、髙田先生の患者さんへの診療姿勢や何か分からないことが出てきたときの探究していく姿勢はほかの先生方とは一線を画していました。教育熱心な方でもあり、私たちへの指導に関してもときにはレクチャー形式の授業のようにしてくださったり、診療の合間に実践を交えながら教えてくださったり、細かく気遣いをしてくださるすごい先生でした。