初期研修インタビュー

2023-12-01

沖縄県立南部医療センター・こども医療センター(沖縄県) 指導医(初期研修) 土屋洋之先生 (2023年)

沖縄県立南部医療センター・こども医療センター(沖縄県)の指導医、土屋洋之先生に、病院の特徴や研修プログラムについてなど、様々なエピソードをお伺いしました。この内容は2023年に収録したものです。

沖縄県立南部医療センター・こども医療センター

〒901-1193
沖縄県島尻郡南風原町字新川118-1
TEL:098-888-0123
FAX:098-888-6400
病院URL:https://nanbuweb.hosp.pref.okinawa.jp/

土屋先生の近影

名前 土屋 洋之(ひろゆき)
沖縄県立南部医療センター・こども医療センター救急科副部長臨床研修センター研修管理委員長 指導医

職歴経歴 1979年に京都府京都市で生まれる。2005年に関西医科大学を卒業後、石巻赤十字病院で初期研修を行う。2008年に関西医科大学附属滝井病院(現 関西医科大学総合医療センター)高度救命救急センターで救急科の後期研修を行う。2010年に沖縄県立南部医療センター・こども医療センターに勤務する。
資格 日本救急医学会救急科専門医、日本集中治療医学会専門医、日本内科学会認定内科医・総合内科専門医、日本DMAT隊員・統括DMAT、沖縄県災害医療コーディネーター、臨床研修指導医など。

沖縄県立南部医療センター・こども医療センターの特徴をお聞かせください。

 当院は南部医療センター・こども医療センターという名前の通りの病院です。単一のこども病院は全国に多くありますが、当院はそうしたこども病院に成人の病院がドッキングした病院であり、そういう形をとっている病院は日本で当院だけとなっています。これが最大の特徴ですね。
私は救急科の医師なので、救急科の立場からお話をさせていただくと、ウォークインの患者さんは年間40000人ほど、救急車が5000台来ますが、子どもの重症患者さんが多く来院されます。とは言え、成人の重症患者さんも来られますし、0歳や生まれる前の子どもさんから100歳まで、内因性も外因性も含めて、多くの患者さんが来院される病院です。

土屋先生がいらっしゃる救急科の特徴もお願いします。

 沖縄の救急のイメージはウォークインから救急車まで、重症な方を含めた方々を門戸が完全に開かれたERで診ているというものでしょう。たしかにERの外来部門のみを担当している病院が多いのですが、当院の救急科ではそうしたERの外来部門に加え、集中治療室や病棟の入院患者さんも診ています。
私は関西医科大学の救命救急センターの出身なのですが、内地の救急では初療だけでなく、集中治療を行ったり、サブスペシャリティの診療も行っていますので、そういう救急医を大勢育てて、沖縄県内に散らばっていってほしいと思い、消化器や外科といったサブスペシャリティも研修してもらっています。

沖縄県立南部医療センター・こども医療センターの初期研修プログラムで学べる特徴について、ご紹介くださいますか。

 当院はこども医療センターという名称なので、小児科を志望している医学生が見学に来るケースが多いのですが、私としては初期研修医の活躍の場は救急だと思っています。そのため初期研修医はERで子どもから大人まで、何でも積極的に診させられます。
それから急性期から慢性期という流れを考えたとき、初期研修医は患者さんが成人であれば超急性期を担う救急科、そして総合診療科、慢性期になれば訪問診療などの全ての繋がりに携わることができます。子どもであっても救急疾患や紹介の患者さんは多く来られますし、小児の集中治療も行っています。
当院は救命救急センターに加え、小児救命救急センターでもありますし、小児総合診療科もあります。小児総合診療科ではいわゆる医療的ケア児のフォローや訪問診療も行っています。初期研修医が携わろうと思えば、小児、成人を問わず、一連の時間軸の全ての医療に関わることができるのが大きな特徴となっています。

土屋先生の写真 土屋先生の写真

プログラムの自由度についてはいかがですか。

 選択期間は5カ月ありますので、かなり自由に組むことができます。例えば外科を回ったときに心臓血管外科も回りたくなったということであれば、どの診療科でもウェルカムな状態で迎えてくれます。ほかの診療科を回りたい場合は相談のうえで、スケジュールの変更が可能ですので、比較的自由なのではないかと思います。

初期研修医の人数は何人ですか。

 当院のプログラムでは1学年14人の計28人ですが、これに加え、琉球大学病院からのたすきがけで1年を当院で研修する初期研修医が2人います。この30人という数は当院のサイズにすれば適切だと思います。
ただER当直に1年目2人、2年目2人が入ってくれていますが、コロナ禍で体調を崩したりすることもありますし、毎月の最低当直回数が6回、多くなると8回ということも考えると、もう少し増えた方がいいかもしれません。しかし、あまり増えすぎると関係性が密になりません。私は7月に前任の利根川尚也先生から臨床研修センター研修管理委員長を引き継いだばかりですが、当院で13年ほど救急科にいますので、初期研修医とは関わりが深いです。この人数であれば全員の顔を覚えられますし、元気かどうかも確認できるのでいいなと思っています。

最近の研修医をご覧になって、いかがですか。

 これまでの利根川先生や臨床研修センターの職員のお蔭でもありますが、当院にエントリーしてくれる人の特徴として、押しなべて優秀であり、元気で明るいことが挙げられます。ストレスなども何とかやり繰りしているようですね。そして今の研修医は多様性のある価値観を持っています。
当院は精神科の身体合併症の対応病院でもあるので、精神科の患者さんが救急にいらっしゃることが少なくありませんが、今の研修医は感覚がアップデートされており、そうした患者さんを尊重する気持ちが備わっています。
私は医師になって19年ですが、上の医師の方ができていないと思わされますね(笑)。私たちは過密なスケジュールで研修に臨み、そのときの貯金で何とかやっている部分はありますが、それが果たして良かったのかどうかは分かりません。時代に応じてアップデートしないといけないといけないのは指導医の方だということを今、自分の腑に落とすようにしています。

初期研修医の指導にあたって、心がけておられることをお聞かせください。

 それぞれが得意なこと、不得意ことがあるので、それを探ることを心がけています。
私は救急科にいますが、何かを行動や実行するまでの過程を意識しています。行動や実行するまでを逆算して考えてみると、その前に決断するという行為があり、その前に判断や評価をするという行為があり、その前に「場の理解」という作業をして、その前には情報収集をします。そして、情報収集の前には「何か起こっている」という検知や感知があり、その前には佇まいや構えがあるんです。
私はそういう感覚で救急の現場にいるので、後輩の医師や初期研修医がどこの過程でつまづいたのだろう、どこの過程が得意なのだろう、どこの過程を無意識にすっ飛ばしたのだろうなどと考えています。ただ、そういうふうに人を見ても、指導で介入できる部分とそうでない部分がどうやらありそうです(笑)。
例えば、検知や感知の過程で「何かがおかしい」というセンサーが立っているのは私よりも医療に対してフレッシュな人、恐る恐る取り組んでいる人かもしれません。私自身はそのセンサーが鈍ってきたように思いますが、判断や評価は勉強したり、経験した蓄積が必要ですし、そういう「分解」をしつつ、どこに何があるのかを模索しながら若い医師と接することを繰り返してきています。

研修医に「これだけは言いたい」というのは「土屋の八訓」に集約されますか。

 「土屋の八訓」は卒後3年目で書いたものです。石巻赤十字病院で初期研修を終えたときに「後輩に言葉を残すのが伝統だ」と言われたのですが、本当にそんな伝統があったのかどうかは分かりません(笑)。
私が勝手に話していったことを石巻赤十字病院の事務の方がタイプされていたんです。妻が石巻出身なので、1年後に病院に遊びに行ったら、それがラミネートされて院内に貼られており、あたかも私が貼らせたかのような感じで恥ずかしかったです。
そして、それが今は当院の救急のトイレに貼ってあります(笑)。3年目のときに書いたことではありますが、大きく変わってはいないですね。医師や研修医が言われたくないのは「あの先生って、医者になれてよかったね」という陰口です。医師は給料もそれなりにもらっていますし、地位も高く、もちろん責任も大きいから、社会の中でそういう位置づけになるし、勘違いしてしまうこともあります。
だからこそ「あの先生、医者以外のほかのことはできないよね」と言われる人にはならないでほしいです。私たちが臨床の場で接するのは一般の社会の人たちなので、普通の人であることが大切です。それは下に降りて目線を合わせるのではなく、患者さんはほとんどが先輩なのですから尊厳を意識し、尊重していくことです。
最近は社会人を経験した人が医師になることも多いですが、現役で医学部に入ると医師になるのは早くて24歳なので、社会に出る年齢としては遅いです。医師は国から優秀だと認められ、国家資格をもらえた人たちなので、そこに矜持を持ちつつ、一般の人たちと接する感覚を持ち続けてほしいです。医師になって病院に入り、今日から社会人だぞということは言われないと分からないものです。
ただ、当院に来ている初期研修医にそんな人たちはいないので、心配はしていません。

■■■「土屋の八訓」とは? ■■■
土屋の八訓

先生が初期研修先に石巻赤十字病院を選ばれたのはどうしてですか。

 私は初期研修が始まった2年目の世代で、色々な病院に見学に行ったのですが、しっくり来るところがなかなかありませんでした。それに前年度の先輩たちの動向を見ていると、初期研修初年度だったこともあり、大きな病院に行ったとしてもポリクリの延長のような研修しかされていないように感じました。
それでスーパーローテートの初期研修を以前から行っている土地を探したんです。一つは東北エリア、そして東海エリアと沖縄です。その中でも東北大学は内科や外科といったメジャー科に入局する人は先に関連病院に出され、そこでローテートしたのちに医局に入局するシステムになっていることを知り、東北エリアの病院のデータだけを出していきました。
私の希望は二次医療圏が25万人前後、病院の規模は400床前後、ウォークインが年間15000人程度、救急車が年間4500台程度、脳神経外科と心臓血管外科があること、医師数が100人未満、初期研修医数が1学年5人未満であり、それに当てはまる病院を北から探していったらフィットしたのが石巻赤十字病院でした(笑)。
当時の私は若いうちは労働力としてばりばり働きたいと思っており、面接に行ったら「労働力として働いてほしい」と最初に言われたので、願ったり叶ったりでした。石巻赤十字病院は移転の前で古い建物でしたが、救急の患者さんは多く、いい病院で研修できたなと思います。私の下の学年からは研修医数も増え、あとは知名度の問題だと言っていたら、東日本大震災が起きました。
結果として、石巻赤十字病院を中心とした災害医療は社会で広く認知され、知名度が上がり、臨床研修病院として高い人気を誇るようになったのは私も嬉しいですし、今も愛着のある病院です。

研修医時代はいかがでしたか。

 石巻には縁もゆかりもなく、とても忙しかったのですが、楽しかったです。病院を遅くに出て、どこかに飲みに行き、また朝から仕事をしてという日々で、内科が特に忙しく、医局の椅子に座ることもできませんでした。
初期研修医が持つ患者数も多く、主治医も務めました。もちろん指導医の先生もいるのですが、指導医が抱えている仕事を下の医師にさせるためにはどんどん教えていかないといけないという意味で、指導体制は充実していました。「ツッチーこれやって。大丈夫、できるから」みたいな環境でしたね。
医師になって19年ですが、1年目が一番楽しかったですし、今も繋がっている人たちが何人もいます。

救急科を専門にしようと思われたのは初期研修のときですか。

 私の家は医師が多く、それも外科医ばかりなのですが、私は医学部を出る頃には法医学か救急かなと思っていました。
救急医は何か起きたときにファーストタッチするみたいなイメージがあり、それができたらいいなということで、まずは救急を選び、10年ぐらい経ったら法医学に進もうと考えたのですが、まだ救急にいます(笑)。
関西医科大学の救命救急センターは歴史があり、アクティブだということは学生時代から知っており、学生の頃も救急医学講座に顔を出したりしていたので、後期研修はここだと決めていました。もし初期研修のマッチングシステムがなかったら、母校の救命救急センターに直接、入局していたでしょうね。

関西医科大学附属滝井病院(現 関西医科大学総合医療センター)での後期研修はいかがでしたか。

 楽しかったです。入局した人も多くなく、私が入局する1年前に1人いたぐらいだったんです。
そのため、救急に患者さんが来られると、大体、私が呼ばれます(笑)。それは望んでいたことだったので、楽しかったですね。手術になる患者さんや熱傷の患者さんなど、色々な患者さんを診る経験ができました。

なぜ沖縄県立南部医療センター・こども医療センターに勤務されるようになったのですか。

 大学病院で働いていたときに子どもがいたのですが、家族との時間がなかなか取れず、環境を変えたいと思っていました。
同級生が沖縄のほかの病院で働いており、その友人に会いにいったついでに、当院を見学しようと白衣を持っていきました。見学してみると、当院は成人、子どもを診る病院であり、救命救急センターもあったので、ここがいいなと感じました。
見学した次の年が専門医受験の年だったんです。初期研修では子どもを診ていましたが、大学病院では子どもを診る機会が少なかったので、当院で子どもを診る経験を積んで、苦手なことや経験が薄いものをなくしてから専門医を受験しようと考えました。

土屋先生の写真

沖縄にいらしてみて、いかがですか。

 沖縄は住みやすく、とてもいいところです。私は子どもが3人いますが、3人とも伸び伸びと育っています。
職場にも近いですし、子育てしやすいですね。最近の日本の夏は暑いですが、沖縄は逆に涼しいところになりました。衣食住に困らず、少し行けば自然もあって、良い環境です。

現在の臨床研修制度についてのご意見をお聞かせください。

 この制度は専門科に進んだ医師が緊急対応できず、患者さんが大変な目に遭ったというようなことがあってできた制度だと言われていますが、初期研修で様々な診療科をローテートするのはやはりいいことだと思います。
ローテートする診療科、期間、最終的な質をどのような維持するのかなどを検討するべきでしょうが、パッケージ自体は良いものだと考えています。

専門医制度についてのご意見もお願いします。

 救急科はそんなに大きく変わっていません。ただ、救急科はどの診療科に行ったらいいのか分からないというマージナルな人たちが集まり、溜まる場所だった面があります(笑)。
でも、その人たちの中には救急に残り、この世界を盛り上げた人たちも大勢いるんです。
一方で、新しい制度ではそれなりのモチベーションがあり、救急専門医を取るという決意がないと救急に入ってこられないですので、救急という領域全体としては辛いものがありますね。決意なく入ることができた救急の世界に決意ある人たちが入ってきたからといって、救急医療が盛り上がることができるのかどうか分かりません。
熱意ある人が救急をセレクトしてくれるのは嬉しいですが、「決めていなかったから救急に入ったんよね」と言っていた先輩が素晴らしい救急医であることを知っている私としては救急に入る動機が絞り込まれたのは辛いです。

これから初期臨床研修病院を選ぶ医学生に向けて、メッセージをお願いします。

 当院に来てもらえれば、自分で歩いて、自分で考えてという主体的な研修が経験できます。
病院選びは難しいものですが、どのようなシステムであれ、どのような指導医だろうが、最終的には自分で決めましょう。必要なのは患者さんがいるということです。患者さんがいる病院にいれば、患者さんから学ぶことばかりです。システムよりも自分が医師として、どういうふうになっていきたい、どういう目的を持って医学部に進み、何を目指して医師になるのか、何年後にどうなりたいのかということを考えて、病院を探してください。
病院自体は働いてみないと、いい病院かどうかは分かりません。事前情報と違うこともあるかもしれません。でも最終的には自分なので、どこに行っても成長できるはずです。システムに振り回されず、なぜ医師になりたいのかという気持ちを固めて挑んでみてはと思っています。

【動画】土屋先生

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