手術中の横木先生と桑原先生
医師を目指したきっかけから、お聞かせください。
横木両親がハローワークに勤務しているのですが、ハローワークは職を失った人が職を求めてくるところです。両親は失職してハローワークに来る方々を見ているうちに、資格を持って働くことが大事だと思ったようです。それで両親から「どこの大学を出たかが問題ではない。何ができるかが大事だぞ。特に女性は資格を持って働いた方がいい」と言われて育ったので、自然と資格が必要な職業を目指していました(笑)。そして、子どもの頃に小児科を受診する機会が何度かあったことで、医師という仕事を意識するようになりました。
桑原私は長崎出身なのですが、長崎では原爆投下日が登校日になるなど、平和について学ぶ機会が多くあります。そういう環境で育っていた小学生の頃、イラン・イラク戦争のニュースを見たときに外国には病気や怪我で困っている子どもが大勢いることを知りました。日本は平和ですが、外国のそういう子どものために何かしたいと思ったんです。父が医師なので、身近な職業でもあり、私も医師になれば、そういう子どもを救えるのではないかと考え、国境なき医師団に憧れて医師を目指しました。
桑原先生が初期研修で鳥取大学医学部附属病院を選ばれたのはどうしてですか。
桑原大学5年生のときのポリクリで形成外科の手術を見て、それまで医師とは大変できつい仕事、というイメージだったのですが、こんなに面白いことをやっている科があったのかと衝撃を受けました。それで、形成外科で最も歴史のある長崎大学病院に行きたかったのですが、当時付き合っていた今の夫が九州に縁がないこともあり、母校に残ることにしました。初期研修では、興味のある無しに関わらず、一生懸命やって初めて見えること、感じることがあると学びました。当時の指導医の先生の言葉や医師としてのあり方は、今も自分の中に残っています。それはどこの病院を選んでも変わらないことだと思いました。
横木先生は東京北社会保険病院(現 東京北医療センター)で初期研修をなさったのですね。
横木東京から地方を見てみたいと思ったんです。私は福岡で生まれて、島根の大学に行き、大学では地域医療研究会というサークルに入って、島根県内の山村でフィールドワークをしたり、鳥取大学の医学生と勉強会をしたりしていました。鳥取大学以外にも色々な大学の医学生と関わる機会があり、東京に一度は出てみたい、人生の中で東京に出る機会を選べるとしたら初期研修だと気づいたんです。サークル活動を通じて地域医療振興協会を知ったことがきっかけとなり、サークルで知り合った1つ上の先輩が初期研修をしていた東京北社会保険病院を選びました。初期研修で最初に回ったのが総合診療科で、丁寧なご指導をいただきました。
先生方がご専門を選ばれたきっかけについて、お話しください。
横木私は国際医療に興味があり、発展途上国に行きたいと思っていたんです。何らかのテクニックや技術を持って発展途上国で医療貢献するにあたっては口蓋裂や多指症といった先天異常を取り扱う形成外科で学んでおくといいのではと考え、形成外科を選びました。
桑原先生
桑原ほかの外科はこの範囲を取るというのがある程度決まっていますが、形成外科は取ってなくなったものを今度は作っていくという手術をすることが特徴です。病気で身体の一部がなくなったり、機能が失われたりときに、それをデザインしたり、作ったりする再建外科を面白いと思いました。
先生方が後期研修を長崎大学病院に決められた理由をお聞かせください。
横木初期研修をした東京北社会保険病院には形成外科がありませんでしたし、地域医療振興協会の病院にも形成外科の後期研修プログラムを持っているところはありませんでした。形成外科はいわゆるマイナー科なので、病院よりも医局に所属した方がいいというところもあり、東大や東京女子医大の見学に行ったりしていました。そんなときに後期研修病院が集うイベントで長崎大学病院を知り、そこで大学時代のサークルで知り合った1つ上の先輩が長崎大学に入局して後期研修をしていると聞き、その先輩に連絡を取ったんです。その先輩が今ここにいる桑原先生です(笑)。
桑原やはり形成外科を学ぶには歴史のある長崎大学病院が最適だと思ったからです。
後期研修はいかがでしたか。
横木初期研修では形成外科に関わっていなかったので、それまで診たことがないものばかりで、新しい世界に出会えました。形成外科の基本は縫合ですが、見た目を綺麗に縫うことから始まり、耳鼻咽喉科での頭頸部手術後の再建といったダイナミックで、かつ時間もかかるものまで、あらゆることを学んでいきました。長崎大学に入局しましたので、その後の異動は全て医局人事です。長崎大学がカバーするエリアはかなり広く、松江から四国、沖縄にも関連病院があり、私も当院に来る前は福岡徳洲会病院にも勤務しました。
桑原当院のような市中病院では滅多に診られないような、10年に1例しかないような症例が集まってくるのが大学病院ですので、最初の1年間で浅く、広く、形成外科の隅々まで勉強することができたのはとても良かったです。
松江赤十字病院にいらしたのも医局人事ですか。
横木私もそうです。医局人事で松江に来て、3年目の終わりに結婚し、4年目に出産しました。それから2人目も生まれましたし、ずっと松江に居座っています(笑)。
桑原医局人事でもあるし、夫が鳥取大学で職を得たので、同じ場所から通えるということで希望を出し、医局にも配慮していただいて、松江に来ました。