全国で活躍する女性医師

2023-11-30

大阪赤十字病院

全国の赤十字病院の中から、大阪府の大阪赤十字病院にお伺いしました。勤務内容や1日のスケジュール、家庭と仕事の両立など、女性医師ならではの声が聞けるインタビューです。

  • profile

    吉村千恵先生
    • 大阪府東大阪市出身
    • 1967年

      大阪府東大阪市で生まれる

    • 1992年

      関西医科大学を卒業

    •  

      大阪赤十字病院内科部研修医となる

    • 1994年

      大阪赤十字病院内科部レジデントとなる

    • 1995年

      呼吸器科部レジデントとなる

    • 1996年

      関西医科大学大学院に入学

    • 2000年

      関西医科大学大学院を修了

    •  

      大阪赤十字病院呼吸器科部スタッフとなる

    • 2006年

      大阪赤十字病院がんサポートチームメンバーとなる

    • 2010年

      大阪赤十字病院呼吸器科部副部長となる

    • 2018年

      大阪赤十字病院アレルギーセンター副センター長を兼任

    • 2020年

      大阪赤十字病院緩和ケア科部への勤務を兼務

    ★日本内科学会認定医・指導医、日本呼吸器学会専門医・指導医・代議員、日本アレルギー学会専門医・代議員、呼吸ケア指導士(上級)、緩和ケア指導者講習修了、難病指定医など。日本緩和医療学会、日本感染症学会、日本結核病学会、日本肺癌学会、日本緩和医療薬学会、日本呼吸ケアリハビリテーション学会、日本呼吸機内視鏡学会にも所属する。

    ★2014年から2018年までNPO法人吸入療法のステップアップをめざす会監事、2019年から理事、2016年から2022年まで日本呼吸ケアリハビリテーション学会代議員、2017年から日本呼吸ケアリハビリテーション学会呼吸ケア指導スキルアップセミナー実践吸入指導 企画責任者、2022年から日本呼吸器学会代議員、日本アレルギー学会代議員など。

目次|contents

医師を目指したきっかけと
研修病院選び・専門選び

呼吸器内科で勤務する吉村先生

呼吸器内科で勤務する吉村先生

病院の特徴はどのようなものでしょうか。

吉村大阪市の都心部にある大規模な病院です。病床数は883床を持ち、かつ歴史もあります。当院のある天王寺区には大阪警察病院、NTT西日本大阪病院が前身だった第二大阪警察病院がありますが、当院には天王寺区をはじめ、東成区や生野区といった市内の方はもちろん、近鉄沿線の八尾市、東大阪市、遠くは三重県名張市からも患者さんが来院されています。当院の最寄り駅である鶴橋駅はJR、近鉄、大阪メトロが通っており、交通の便がいいので、他府県からの患者さんが少なくないようです。また近くの生野区には在日朝鮮・韓国人の方々が多く住んでおられますが、そういった方々からも信頼をいただいている病院です。

医師を目指したきっかけをお聞かせください。

吉村父の姉である伯母が血液内科医で当院に勤務していました。また父が歯科医師、母が臨床検査技師で当院に勤務していましたので、当院には馴染みがある環境で育ちました。そういう医療関係者が家族に多かったこともあり、知らず知らずのうちに医師になることを刷り込まれていたのかもしれません。私がまだ小さいときに母が亡くなり、私はその伯母に育てられたんです。伯母が重症患者さんの急変で、夜中に呼ばれたりするところも見ていましたし、女性が仕事をするのは当然のことであり、仕事をするなら医師だと思い、医師を目指しました。

研修先に大阪赤十字病院を選ばれたのはどうしてですか。

吉村当時はほとんどの人が母校に残って研修する時代でしたが、たまたま大阪赤十字病院が2人の研修医を募集すると母校にオファーしてきたんです。それにチャレンジしようと応募したところ、2枠に2人しか申し込まなかったので、2人とも受かりました(笑)。そして教授推薦という形で、同級生と2人で当院に来ました。当時は大学での研修は給料も安く大変だったので、チャレンジしてみて良かったです。

実際に研修をなさってみて、いかがでしたか。

吉村当時は今のようなスーパーローテートの研修ではありませんでしたが、内科系の診療科を全て回るのは同じでした。私も内科系の全ての診療科を順番に回りましたし、救急での研修も今と同じような形で行っていました。

ご専門を選ばれたきっかけについて、お話しください。

吉村当時の大阪赤十字病院は面白い制度になっていて、病棟ごとにレジデントを取っていました。私は初期研修の2年間を終えたら、当時あった14号病棟に残ってレジデントをすることになったんです。14号病棟は消化器内科と血液内科がメインでしたので、その2科を回ることになりました。ただ、その方針を決めるのは初期研修中でしたし、それを決めたあとで呼吸器内科を回ったときに呼吸器内科が断然いいなと思い、上の先生方に相談して、卒後3年目の秋から呼吸器内科でレジデント研修を始めました。

スピリーバカプセルの指導を行う吉村先生

スピリーバカプセルの指導を行う吉村先生

呼吸器内科のどのようなところが良かったのですか。

吉村当時は呼吸器内科医が少なく、母校の呼吸器内科も少し弱かったんです。私を当院に推薦してくださった教授も血液内科でしたし、内科の王道は血液内科であり、消化器内科でした。大阪赤十字病院でも消化器内科が強く、血液内科と並んで華やかに見えました。一方で、呼吸器内科はまだ隔離されていて、分病棟と呼ばれる別棟にあったんです。大学でもそんなに詳しく学ばなかったので、呼吸器内科の魅力に気づかずに卒業し、ローテートしたという状況でした。それで実際に回ってみると、呼吸器内科では感染症、アレルギー疾患、腫瘍、呼吸管理など、様々な内科の大半を占めるところに位置していることが分かり、その守備範囲の広さに惹かれました。呼吸器内科には治らない患者さんもいますが、治していかないといけない患者さんも多くいます。気管支喘息やCOPDなど、管理をすれば大きく改善する疾患もあり、何か一つのことに関わっていくのではなく、バラエティに富んだ疾患を診られることが魅力でしたね。


専門の研修はいかがでしたか。

吉村呼吸器内科の専門研修を始めてすぐに外来を担当するように言われました。病棟も当時は呼吸器内科だけで100床以上あり、1人で20人以上の患者さんを担当していました。指導医の先生もいらっしゃるのですが、ほぼ1人で担当しないといけない状況はかなり大変でしたね。色々な手技もできるようになりましたし、バラエティに富んだ患者さんを外来で自分でフォローしていく必要がありました。ただ、院内での呼吸器内科の役割がはっきりしており、当直も呼吸器内科だけで組んでいたので、分からないことがあればすぐに上の先生に聞ける環境だったのは研修しやすい環境でした。

研修が終わって、医局に所属されたのですか。

吉村研修が終わったときに当時の部長と相談したんです。私は大学の同級生と一緒に当院での初期研修を始めましたが、その同級生は3年目の4月に呼吸器内科のレジデント研修を始め、京大の医局に入りました。私は9月に呼吸器内科のレジデント研修を始めましたが、そのときに上司から「先生は京大の医局に入るなんて言わんとってくれ」と言われたんです(笑)。当時の大学は医局員が少なかったので、大学から引き上げられたら大変な状況になることが予想されたからだと思います。それでひとまず母校の医局に入ることになり、当院を紹介してくださった教授がおられた第一内科に所属することになりました。

大学院にも行かれたのですね。

吉村大学院では肺がんの研究をしました。大学院では仲間も増えましたし、同じ大学出身の先生方と上下関係にいることが新鮮でもありました。ただ、当時は大学院生と言えども1年間は病棟の仕事もしなくてはいけなかったので大変でしたね。自分たちで採血したり、採血のスピッツや抗生剤の点滴を準備したり、伝票を作ったりと、とても忙しかったです。当時は出産直後でしたが、子どもを伯母の家に預けて、大学院に通っていました。伯母の家には従姉たちもいましたので、面倒を見てもらったんです。それから実家のすぐ近くに引っ越しをして、子どもと一緒に住めるようになりました。

大阪赤十字病院の救急の特徴をお聞かせください。

吉村坂井義治院長と水大介部長により、救急の要請があればお受けし、その後は各科で対応していくという流れが作られています。以前から当院をかかりつけにしていらっしゃる方やウォークインの方も含めて、救急患者さんが多かったのですが、水先生が来られたことで、より多くの患者さんへの対応をしていこうということになりました。私たちも重症な外来患者さんを抱えていますが、そういう患者さんが大変な状況になったときに当院の救急で対応していただけるのは有り難いことですし、信頼もしています。

当直の回数はどのぐらいですか。

吉村月に1回か2回です。私は管理当直なので、救急外来で直接、患者さんに関わるのではなく、ベッドコントロールに関わっています。以前は日曜日の当直であれば1日中、当直して、月曜日の外来をして、その日に入院した患者さんを診にいってということで、帰宅が22時、23時ということもありました。今では考えられない長時間勤務でしたが、そういう経験はかなり積んできました。

大阪赤十字病院でのキャリア

吸入指導を行う吉村先生

吸入指導を行う吉村先生

大阪赤十字病院での勤務内容をお聞かせください。

吉村月曜日と金曜日は外来日です。新患も定期受診の方も一緒に診るスタイルで、朝から始めても17時に終わるか、終わらないかぐらいですね。呼吸器内科のカンファレンスは月曜日と金曜日にあるのですが、カンファレンスに出られないこともあります。木曜日の午後は禁煙外来で、これも有り難いことに多くの患者さんを診ています。火曜日と水曜日は検査の日で、特に午後は気管支鏡検査を行っています。それから私は緩和ケア科も兼務しているので、呼吸器内科の患者さんで看取りになりそうな方、終末期を迎えて在宅や転院ができない方で緩和ケア病棟を希望されている方を担当しています。

診療方針をお聞かせください。

吉村外来ではやはり開業医の先生方と病院でのフォローの仕方の違いを必ず意識しています。最近、喘息ではかかりつけの先生方のところではフォローできないような生物学的製剤の注射が増えていますし、そうした高価な注射や専門的な検査などが必要かどうかを見極め、こちらで行うことを心がけています。一方で、がんの患者さんもかなり多いです。がんの患者さんに関しては通院できなくなる前に、かかりつけの先生方となるべく併診できるような体制を取らせていただこうとお伝えしています。そして、私が力を入れているのは服薬情報提供書を活用した近隣の先生方との病薬連携です。現在は私が出した薬がどの薬局で、どの薬剤師さんが指導したのかを把握できる状況になっていますので、薬を出し忘れたときなどに追加をお願いしたり、薬局からもスムーズに連絡が来ます。病院の外部の方々とも病院の中のスタッフのような感覚で連携しています。

大阪赤十字病院で実現したキャリアはどのようなものですか。

吉村当院に何もなかったところから色々な仕組みを作ってきたことに関わってきたことが多くあります。例えば、当院ががん診療連携拠点病院の指定を受けたことに関われたことです。これはがん対策基本法に基づいて、整備が決定されたものですが、当院では以前から「最後まで患者さんを診たい、診るのが普通だ」というスタッフが看護師さんや事務の方々を含めて、大勢いました。その精神が当院の最大の良さだなと思っているところですが、それで法律ができる前に消化器内科、消化器外科、呼吸器内科で緩和ケアの勉強会を始めていました。そして、その勉強会をするためには全国の勉強会に参加しなくてはいけないという意識を持っていたんです。現在のPEACEプロジェクトでは医師全員ががんの緩和ケアを学ぶことになっていますが、その前身であるEPEC-Oプログラムの第1回を消化器内科の圓尾隆典先生が受け、私はそれを知らずに第3回のプログラムを受講していて、既に2人が指導者ができる状態になっていました。それが当院ががん診療連携拠点病院を取ることができた理由です。

ほかにもありますか。

吉村最近はアレルギー疾患医療拠点病院の指定を受けましたが、これは私が始めた服薬情報提供書による病薬連携が活かされています。私はこの病薬連携を2008年から行っているのですが、当時の院長先生をはじめ、呼吸器内科の部長でいらした網谷良一先生にも応援していただきました。最初は呼吸器内科の、しかも喘息に限って始めたのですが、保険点数がどんどん高くなっていき、服薬情報提供書がないと連携薬局に認定されないほどになっていったんです。

意見が通る病院なのですね。

吉村当院には医局代表者会議があり、医師が「これはおかしいな」「改善したいな」ということがあれば、その会議で検討し、院長がOKを出してくれれば進めていこうという雰囲気があります。医局秘書さんやクラークを置いていただいたのもその一つです。今は医局秘書さんやクラークの存在は当たり前ですが、当院では点数がつく前から何回も病院と交渉したり、先進的に行っている病院に見学に行ったりして、この制度を作りました。また、当院の精神として、紹介状の宛先を空欄で出すことが許しがたいというものがありましたが、これも私が先陣を切って、かかりつけ相談窓口を作ってもらいました。大学病院ではそんなことをしてもらおうとすれば、何層もの壁や天井がありそうですが(笑)、当院は医師の要望を聞いてくれて、事務スタッフの方々も一緒になって、本当に必要なものを置いてくれる風土のある病院です。

熊本震災の被災地で支援を行う吉村先生

熊本震災の被災地で支援を行う吉村先生

これまでの勤務で印象に残っていることはどんなことですか。

吉村災害医療や国際救援も印象に残っています。当院に国際救援部を作ったのが中出雅治先生ですが、私が初期研修医の頃はカンボジアへの医療支援などに対し、手を挙げる人が少なかったんです。でも赤十字の病院としては国際救援は当たり前のことであり、病院の中から支援に行く医師を捻出しないといけないということは皆が分かっていました。そして阪神大震災があったのですが、当時は院内ルールがなかったので、上の先生方は外来のために病院に残り、レジデントや初期研修医が毎日順番に被災地に派遣され、行っては帰るということを繰り返していました。その後呼吸器外科の中出先生が研修を経て国際救援部を作られて、院内ルールも整備されました。海外で何かがあれば、中出先生は海外に行かれますが、その間、中出先生のいらっしゃる呼吸器外科は手術が止まりますし、呼吸器内科にも影響があります。それだと患者さんに迷惑がかかりますので、災害医療と自分たちの診療は常に日常にあるものだという考えのもとで制度化が進み、ブラッシュアップされていきました。そして東日本大震災や熊本地震があり、私も被災地に行きました。被災地では何もないところから連携していかないといけません。混乱の中でさざ波のように連携し、系統立てて動いていけるのは赤十字ならではのキャリアとして、印象に残っています。

初期研修医の指導にあたって、心がけていることはありますか。

吉村楽しく研修してもらうことが一番だと思っています。今は色々な病院で初期研修を経験してきた人たちが当院で1年間のレジデントになる制度も始まっていますが、当院はフレンドリーというか、家庭的な雰囲気を味わってもらえているのではないでしょうか。特に呼吸器内科は私がいるからかもしれませんが、家庭的です。以前は私も怒ったりすることもありましたが、子育ても終わった今となっては「そのうち、できるようになるわ」「今できなくても、私が責任を取ればいいわ」という気持ちで、若い先生たちには何でもしてもらおう、楽しく経験を積んでもらおうと考えています。その中で遣り甲斐のあることを見つけていただきたいですね。

これまでのキャリアを振り返られて、いかがですか。

吉村あっという間でしたが、制度が次々に変わり、薬も技術も本当に進歩しました。私が研修医のときはコンピューターを買うのはどうしようかなという時代でしたが、今はコンピューターがないと仕事ができない時代になりましたし、すごいスピードで世の中が動いていったなあという実感があります。

今後のビジョンをお聞かせください。

吉村女性医師は皆、80%の勤務時間の中で120%のパフォーマンスを出すにはどうしたらいいのかと常に考えています。全部が自分のための時間ではありません。働き方改革で働く時間は少し短くなりましたが、効率よく働くことに関しては女性は訓練されていますので、得意です。これからは複数主治医制になっていくでしょうし、皆でシェアしながら患者さんを診ていくなど、皆が働きやすい環境を考え、病院の発展に貢献していけるようにしないといけないと思っています。

仕事とプライベートの両立

ご家族と一緒にお出かけされている吉村先生

ご家族と一緒にお出かけされている吉村先生

ご出産されたのはいつ頃でしょうか。

吉村1996年と1998年です。1人目は結婚してすぐに妊娠しました。でも私は妊娠に気づかなかったんです。妊娠すると身体のバランスが崩れるようで、階段踊り場から踊り場まで落ちて大怪我をしたんですよ。結婚で2週間ぐらい休み、この怪我で2週間ぐらい休んだのですが、その間に妊娠が分かりました。でも、これだけ休んだのに妊娠したなんて絶対に言えないと思って、黙っていました(笑)。そのうち、色々な先生から「歩き方がおかしい。妊娠したんじゃないか」と言われるようになりました。鋭いなあと思いつつ、部長には「先生方が夏休みを取っておられるのに、これで夏休みが返上になったら申し訳ないので、黙っていてください」とお願いしました。そうしたら切迫早産になったんです。28週のサイズのまま32週を迎えたので、産婦人科の先生に激怒されました。それで結局、早く休まないといけなくなり、かえってご迷惑をかけてしまいました。当時は20人ほどの患者さんを抱えていたので、全員に電話したり、来院してもらって、申し送りをして、カルテを書いてと働いたあとで深夜に帰宅したら、今度は家族からも激怒されました。それで自宅で落ち込みながら寝ていると、今の部長の西坂先生から「こっちのことは気にせんでええから。帰ってこられるときに帰ってきたらええやん」と言われたんです。それがとても救われました。見捨てていないよというメッセージはとても大事ですね。それで産休の間には大学院の入試も受けて、産後8週で職場に復帰しました。1月に生まれて、3月に復帰したのですが、当時は国家試験の関係で大学院が6月スタートだったので、5月一杯までは病院で働いていました。復帰直後に診た患者さんがICUに入る患者さんだったので、きちんと働かないといけないなと目が覚めた感じでしたね。

お二人目は大学院時代に出産されたのですか。

吉村そうです。自分でお金を払って大学院に通っている院生でしたので、職場に迷惑をかけているわけではないですし、気持ちは楽でした。それでも出産後は5カ月休んで、復帰しました。大学院のときは橋本クリニックで非常勤勤務をしていたのですが、患者さんが30人ぐらいいらしていたのに、私が休むと患者さんが来られなくなったみたいで、橋本先生から「いつ出てくるんだ」と聞かれたんです(笑)。当時は保育所も少なかったので、子どもは実家で見てもらうことにしました。子どもは長女が歯科医師で、長男が医学部の学生です。私は「医師だけにはならんで」と言っていたのですが、2人ともこの道を選びました(笑)。

仕事と育児をどのように両立されているのですか。

吉村今は院内保育所もありますが、当時はなかったですし、両立はなかなか難しかったですね。院内保育所も最初は看護師さん用で、医師はほかのところに預ければいいのではという意見もあったんです。でも、私は大学院生でしたし、大学の同級生だった夫も当時は非常勤勤務でしたので、保育料が高いところには預けられません。実家に頼るという方法しかありませんでした。

ワーク・ライフ・バランスをどのように心がけていらっしゃいますか。

吉村自宅に帰ると病院の仕事のことはすっかり忘れるというよりは自宅での仕事が忙しすぎるということもありますが、常にめりはりをつけています。最近は当直明けに帰ることが定着しつつありますが、年休を取るなど、休みやすい環境をしっかり作っていかなくてはと思っています。人数の増減はありますが、仮に人数が減ったとしても休んだり、発表しなくても学会に行ったりしてほしいですね。若い医師には休むことや学会に行くことを勧めていますが、こちらとしても若い医師が仕事しやすい環境を整備していきたいです。

ご趣味など、プライベートについて、お聞かせください。

吉村仕事が趣味のようなところはあります。例えば、私は患者指導に力を入れているので、自分でやってみていいなというものを勧めたいんですね。その一つがノルディックウォーキングポールを使ってのウォーキングです。近鉄沿線に住んでいますので、コロナ禍になる前は近鉄で奈良まで行って、1時間ウォーキングして帰ってきたり、難波宮まで行って帰ってきたりしていました。奈良はもちろん、病院近辺も歴史があるところですし、小旅行のような感じも味わえますね。患者さんにも「ここからあそこまで歩いたら、○○歩、歩いたことになりますよ」「こんなふうにできたよ」と自分の楽しみも交えながら伝えています。

座右の銘などはありますか。

吉村きちんとしたものは思い浮かばないのですが、以前アメリカの映画で出会った台詞が印象に残っています。日本語訳だとお下品なのですが、「出した屁は消せるか」というもので、これはいつも自分に言い聞かせています。自分がした行動では自分が責任を取らないといけません。失敗したなと思ったときも、この言葉を思い出して自分で責任を取るようにしています。

  • 吉村先生の1日のスケジュール

大阪赤十字病院の働きやすさ・福利厚生

プライベートの吉村先生

プライベートの吉村先生

福利厚生についてはいかがですか。

吉村食堂の補助については毎日のことなので、有り難みを感じます。以前の院長先生や副院長先生方からも「この補助は有り難いことなんやで」と言われていました。それから育児短時間勤務制度は日本赤十字社で統一されたものですが、いい制度だなと思っています。それから病院が色々な企業と提携しており、ポイントを貯めて、それを使えるという制度もありますが、私自身はなかなか使う機会がありません。以前は遠足のようなイベントもあり、皆さんが楽しそうに活用されていました。

大阪赤十字病院での女性医師の働きやすさはどのようなところにありますか。

吉村診療科によって違うでしょうし、女性が多い診療科の方が働きやすいといった面もあって、女性医師の人数に左右されるところもあるかもしれません。内科系は女性医師が多いので、誰かが休んだら、誰かがサポートしやすいです。その意味では呼吸器内科は休みやすいです。

育児短時間勤務制度を使われている先生方は多いですか。

吉村現時点での数は分からないのですが、活用していた医師はいます。

院内保育所も完備されていますよね。

吉村ときどき子ども連れの人を見かけますし、使っている人はいますが、さらに増えてくれればいいですね。その背中を見た若い人たちも「自分もやっていけるな」と思って、それに続いてくれればという気持ちでいます。

病児保育所もありますか。

吉村あります。医局代表者会議で長く議論した結果、何とか実現しました。

女性医師の会のようなものはありますか。

吉村当院にはありません。

直撃! Q&A

初期研修での人気の秘密は?

吉村先生 初期研修医に様々な手技を経験させていることだと思います。初期研修医にほとんど手出しをさせない病院や初期研修医が考えて行動しようとしたことに対してストップをかける病院もあるそうですが、当院は以前から初期研修医にまずさせてみて、指導医が後ろでサポートする研修を行っています。特に救急では当直医が多いこともあり、初期研修医が安心して診療にあたれることが大きな魅力となっています。またローテートに関しても内科系は全て回れる形にしてあります。回る期間や診療科が重複する大変さはありますが、どの科も頑張って勉強したいという人には人気です。また診療科の垣根が低く、相談しやすい雰囲気が良くて当院を選んだという声も聞いたことがあります。

医師として、影響や刺激を受けた人はいますか。

吉村先生 呼吸器内科の部長でいらっしゃる西坂泰夫先生や以前いらした若山俊明先生をはじめ、大勢いるのですが、3人に絞りたいと思います。1人目は伯母です。伯母が常に患者さんと向き合っている姿勢を見て育ちましたし、性差なく働くことは当たり前のこととして受け止め、働けているのは伯母のお蔭です。2人目は守口市で橋本クリニックの名誉院長をされている橋本忠雄先生です。私は大学院時代、橋本クリニックで非常勤勤務をさせていただいていました。橋本先生は「わたしのカルテ」を提唱された方です。患者さんに全てのデータを渡さないと、患者さんは忘れてしまいます。患者さんが「この検査、去年しました」とおっしゃっても、それが3年前、4年前ということは頻繁にあるんですね。やはり患者さんを巻き込んだ医療をしていくには患者さんにきちんとデータを渡すことが必要ですし、患者さんにとっては当然の権利なのだと、私も個人的には思っていたのですが、橋本先生はそれを具体化されたので、尊敬しています。『患者が変わる 医療が変わる 地域が変わる』という本も出版されています。3人目は当院の国際救援部の部長でいらっしゃる中出雅治先生です。中出先生は私が研修医の頃から当院にいらっしゃる先生で、世界と日本の医療の違いを常に教えてくださいます。最近も「これだけガイドラインに沿った医療をできるのは、そしてそれを享受できている人は全世界の1%に過ぎない」と実体験として話してくださり、何もない中で自分に何ができるのかと考えさせられました。

メッセージ動画

病院アピール

概要

  • 病院外観
  • 名称日本赤十字社 大阪赤十字病院
    所在地〒543-8555 大阪府大阪市天王寺区筆ケ崎町5-30
    電話番号06-6774-5111
    開設年月明治42年5月8日
    院長坂井 義治
    休診日土曜日・日曜日・祝日
    5月1日(日本赤十字社創立記念日)、12月29日~1月3日(年末年始)
    病床数883床

診療体制

診療科目・部門

内科、リウマチ内科、腎臓内科、血液内科、糖尿病・内分泌内科、消化器内科、循環器内科、脳神経内科、腫瘍内科、緩和ケア内科、乳腺外科、外科、消化器外科、心臓血管外科、眼科、産婦人科、皮膚科、泌尿器科、耳鼻咽喉科、頭頸部外科、小児科、小児外科、呼吸器内科、呼吸器外科、精神科、整形外科、リハビリテーション科、形成外科、脳神経外科、歯科、歯科口腔外科、放射線診断科、放射線治療科、麻酔科、救急科、臨床検査科、病理診断科

認定・指定一覧

    • 保険医療機関
    • 健康保険病院
    • 社会保険病院
    • 国民健康保険療養取扱機関
    • 労災保険指定病院
    • 母体保護法指定医
    • 性病予防法指定病院
    • 生活保護指定病院
    • 指定自立支援医療機関(更生医療・育成医療)
    • 指定自立支援医療機関(精神通院医療)
    • 結核予防法指定病院
    • 原子爆弾被爆者医療指定病院
    • 救急告示病院
    • 救命救急センター
    • 臨床研修指定病院
    • 精神保健指定医
    • 児童福祉法医療給付指定医療機関
    • 母子保健法養育医療指定医療機関
    • 自動車損害賠償責任保険後遺障害認定病院
    • 公害健康被害補償法公害医療機関
    • 大阪府指定災害拠点医療センター(災害拠点病院)
    • 地域がん診療連携拠点病院
    • 肝炎専門医療機関
    • 非血縁者間さい帯血移植医療機関
    • 非血縁者間骨髄採取・移植認定施設
    • 非血縁者間末梢血幹細胞採取・移植認定施設
    • 大阪府地域周産期母子医療センター
    • 地域医療支援病院
    • 指定小児慢性特定疾病医療機関
    • 難病指定医療機関
    • 大阪府アレルギー疾患医療拠点病院
    • がんゲノム医療連携病院
    • 大阪府難病診療連携拠点病院
    • 大阪府外国人患者受入れ拠点医療機関
    • 小児がん連携病院
    • 大阪府小児地域医療センター
    • 特定行為研修指定研修機関
    • 母体保護法指定医師研修機関
    • 日本適合性認定協会ISO15189:2012
    • 精度保証施設認証

学会認定

    • 日本リウマチ学会教育施設
    • 日本腎臓学会研修施設
    • 日本透析医学会専門医制度認定施設
    • 日本輸血・細胞治療学会認定輸血検査技師制度指定施設
    • 日本輸血・細胞治療学会認定医制度指定施設
    • 成人白血病共同研究機構施設会員
    • 日本血液学会認定専門研修認定施設
    • 日本骨髄バンク非血縁者間末梢血幹細胞採取認定施設
    • 日本骨髄バンク非血縁者間骨髄採取認定施設
    • 日本造血細胞移植学会非血縁者間造血幹細胞移植認定診療科
    • 日本糖尿病学会認定教育施設
    • 日本内分泌学会認定教育施設
    • 日本超音波医学会認定超音波専門医研修施設
    • 日本消化管学会認定 暫定処置による「胃腸科指導施設」
    • 日本消化器内視鏡学会専門医制度指導施設
    • 日本消化器病学会専門医制度認定施設
    • 日本膵臓学会認定指導施設
    • 日本肝臓学会認定施設
    • 日本胆道学会指導施設
    • 浅大腿動脈ステントグラフ実施基準管理委員会浅大腿動脈ステントグラフト実施施設
    • 日本循環器学会認定循環器専門医研修施設
    • 日本心血管インターベンション治療学会研修施設
    • 日本心血管インターベンション治療学会基幹施設
    • トランスサイレチン型心アミロイドーシスに対するビンダケル導入施設
    • 日本不整脈心電学会 クライオバルーンアブレーション認定施設
    • 日本不整脈心電学会 ホットバルーンアブレーション認定施設
    • 日本不整脈心電学会認定不整脈専門医研修施設
    • 日本神経学会教育施設
    • 日本頭痛学会認定准教育施設
    • 日本認知症学会専門医制度教育施設
    • 日本臨床腫瘍学会認定研修施設
    • 日本緩和医療学会認定研修施設
    • 日本乳癌学会専門医制度認定施設
    • 日本がん治療認定医機構認定研修施設
    • 日本食道学会食道外科専門医認定施設
    • 日本肝胆膵外科学会肝胆膵外科高度技能指導医修練施設A
    • 日本外科学会外科専門医制度修練施設
    • 日本消化器外科学会専門医制度専門医修練施設
    • 日本内視鏡下肥満・糖尿病外科研究会施設
    • 日本大腸肛門病学会関連施設
    • 関連10学会構成ステントグラフト人士基準管理委員会認定腹部ステントグラフト実施施設
    • 関連10学会構成ステントグラフト人士基準管理委員会認定胸部ステントグラフト実施施設
    • 三学会構成心臓血管外科専門医認定機構基幹施設
    • 日本眼科学会専門医制度眼科研修プログラム施行施設
    • 日本眼科学会専門医制度研修施設
    • 日本産科婦人科学会専門医制度専攻医指導施設(連携施設)
    • 日本周産期・新生児医学会周産期専門医制度周産期(母体・胎児)指定施設
    • 日本婦人科腫瘍学会専門医制度指定修練施設
    • 日本女性医学学会専門医制度認定研修施設
    • 日本皮膚科学会認定専門医研修施設
    • 日本泌尿器科学会専門医教育施設
    • 日本耳鼻咽喉科学会専門医研修施設
    • 日本気管食道科学会認定気管食道科専門医研修施設
    • 日本頭頚外科学会頭頚部がん専門医制度指定研修施設
    • 日本小児血液・がん学会小児血液・がん専門医研修施設
    • 日本小児科学会小児科専門医研修施設
    • 日本小児科学会小児科専門医研修支援施設
    • 日本アレルギー学会アレルギー専門医教育研修施設(小児科)
    • 日本周産期・新生児医学会周産期専門医制度周産期(新生児)指定施設
    • 日本小児外科学会認定施設
    • 日本呼吸器学会認定施設
    • 日本感染症学会研修施設
    • 日本アレルギー学会認定教育施設(呼吸器内科)
    • 日本呼吸器内視鏡学会気管支鏡専門医制度認定施設
    • 呼吸器外科専門医合同委員会認定修練基幹施設
    • 日本脊椎脊髄病学会脊椎脊髄外科専門医基幹研修施設
    • 日本脊椎脊髄病学会椎間板酵素注入療法実施可能施設
    • 日本整形外科学会研修施設
    • 日本脆弱性骨折ネットワークデータベース施設会員
    • 日本形成外科学会認定施設
    • 下肢静脈瘤に対する血管内レーザー焼灼術の実施基準による実施施設
    • 日本乳房オンコプラスティックサージャリー学会エキスパンダー実施施設
    • 日本乳房オンコプラスティックサージャリー学会インプラント実施施設
    • 日本脳卒中学会一次脳卒中センターコア認定施設
    • 日本脳神経外科学会専門医研修プログラム連携施設
    • 日本口腔外科学会認定准研修施設
    • 日本医学放射線学会放射線科専門医総合修練機関
    • 日本核医学会専門医教育病院
    • 日本インターベンショナルラジオロジー学会専門医修練施設
    • 画像診断管理認証機構画像診断管理認証施設
    • 日本救急撮影技師認定機構実地研修施設
    • 日本麻酔科学会麻酔科認定病院
    • 日本集中治療医学会専門医研修施設
    • 日本救急医学会救急科専門医指定施設
    • 日本病理学会病理専門医研修認定施設B
    • 日本医療薬学会医療薬学専門薬剤師研修施設(基幹施設)
    • 日本薬剤師研修センター実務研修受入施設
    • 日本医療薬学会がん専門薬剤師研修施設(基幹施設)
    • 日本医療薬学会認定薬物療法専門薬剤師研修施設(基幹施設)
    • 日本医療薬学会地域薬学ケア専門薬剤師研修施設(基幹施設)
    • 日本病院薬剤師会がん薬物療法暫定研修施設
    • 日本薬剤師研修センター小児薬物療法認定薬剤師養成の実務研修施設
    • 日本臨床栄養代謝学会認定NST稼働施設

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